操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

塾・操体

操体というのは、東京操体法研究会の講習修了者が参加する、自主的な勉強の場である。7月28日午前中は、東京操体フォーラム実行委員の打合せがあり、塾・操体は13時から始まった。



以下は私のメモから書き起こしたものだ。



・介助の与え方:好き勝手ではいけない。どうでもいい、というわけではない。患者の動きに従って操者も動いている。つまり、操者は動くのは患者だと思っているが、操者の動きも重要だということ。その動きに対応するには、患者(被験者)の動きに一歩遅れてついていくこと。「決め」をぴしっときめること。「決める」ということは、動きに距離を作るという

ことであり、距離を作るということは、その分感覚をききわける時空が長くなるということだ。例えば、手首前腕を外旋させるために、あらかじめ、手首前腕を内旋位にとり、決める。



 介助の与え方、補助のかけ方で、きもちよさの度合い、場所が変わってくる。また、介助の与え方、補助のかけかたで動きの「流れ」を誘い込み、呼び込む。



 動きを「流れ」の循環として理解する。



以上が「理に適った介助」について。



操体についての説明」(重要)と書いてある(私のメモ)

私自身もいつも思っていたのだが、操体は説明するのが難しい。

中には「気持ちよくからだを動かす」(100%間違ってはいないが、動かしてみるほうが先である。第一患者なりクライアントはそんなに動けない)「安全な整体」←これは操体のみならず、整体をされている方にとっても失礼な書き方だ。

「楽なほう、きもちいいほうに動かすので安全です」安全??安全もなにも快適感覚に従えばそうに決まっているのだが、他力的手技をやっていた人に聞いてみると、「他力療法は患者を壊して一人前」というのが一般通念らしい。私もマナーとして一応保険には入っているが。なので、「安全」という言葉を使いたい傾向があるらしい。



また、私が一番好きなのは「快適感覚をききわけ、味わうような指導をせよ」という操体指導者向けの言葉だが、普通の人に言っても「へえ?」と言われることもある。



そこで、師匠が言うには



操体はやることが多い。

患者に説明しにくいのは当たり前のこと

まず、受けてみて、味わった快適感覚



『体感してみて、お前が感じたことが操体感である』



そんなに簡単に説明できるものではない。



なるほど。操体は実践哲学でもあるから、「ウソかホントかやってみな」の世界であり、操体の本だけ読んで(一人で行う操体の本は、本を見ながらやらなければならないので見よう見まねで)理論を読んで悶々と想像を巡らせ(どんなのかな〜)自己流に試してみるのだったら、プロの所に行って受けてみればいいのだ。



東京操体フォーラムの実行委員クラスでしたら、私が安心して太鼓判を押します。勿論、師匠のところや、私のところでもいいんだが)



文献の重み

橋本先生の言葉で「記録に残す、文献に残す」という言葉がある。師匠の治療所の入り口にも「文献の重み」という橋本敬三先生の色紙が飾ってある。



何故かというと、橋本先生が「からだの動きは8つきりしかない」と気がついたのは、結構お年を召してからの事。何故かというと古今東西そんなことを書いた文献がなかったから。(今のインターネット時代を橋本先生が知ったら何と言われるだろう)



なので、後の人が困らないように、文章に残せ、と言われたのだそうだ。



・皮膚について

患者に感覚を問いかけ、ききわけてもらう時、患者(クライアント)は頭で考えている場合が多い。例えば、操法の回数の要求など「何度もやったほうが効くんじゃないか」とか「左右両方やったほうがいいんじゃないか」とか。



皮膚に問いかける意味はいくつかあるが(動けないとか、八方ふさがりとか)、患者の生活感、知識からくる要求をシャットアウトするために皮膚に問いかける。



我々は『からだにききわけて』という言葉を使うが、それでも頭で考える場合があるからだ。



ブルース・リーにせよ「考えるな。感じろ」と言ってるんだが。それでも頭で考える。皮膚に触れると頭がカラッポになる。



操者は過去を引きずらず、常に新しい自分でいるべき

素直に向かい合う。皮膚は答えてくれる。



患者に対して、『治りたいなら、感覚をききわけ、味わう、という責任分担はおって下さい、とお願いする。施術者が介入できない「感覚のききわけ」なのだから。



治療家にとって大切なのは『治すことまで関与するな』ということ。それが守れるかどうかが大切。



操体の実践者は、『第3者が関与しない診断と治療法(つまり、操体)がある、という

ことを他の治療家に教えるということも大切な役割。