最初に断っておくが、私は操体の愛好家やファンや同好会の方に対して批判中傷を書いているのではないことを明記しておきたい。
あるところで、「最近の操体の本は動診や操法ばかり書いてあり嘆かわしいと思う。息食」というような旨の意見を見た。
非常に残念に思う。
最近出た操体の本で、連動について書いてある本と言ったら思い当たる本は限られているので、特定の本を名指しにしていることは間違いない。
しかし、逆に考えるとこれを書いた方が操体の臨床家ではなく、愛好家だったら納得がいかないでもない。
愛好家だったら動診や連動の詳細は全く以て面白くないと思うし、操体って、何だか素晴らしい』『操体って面白い』という人や、操者の立場をとるより、受けて楽しい、という人は「連動?めんどくさい」と思う可能性は十分ある。
操体が好きなのは変わりないのだが、勉強(操体を学ぶ)<操体を受ける、というケースである(これが決して悪いとは言っていない。念のため)。
また、「好き勝手に自由に気持ちよくきもちよさを探して色々動いて」(このような言葉の誘導は、動診と操法の境がない。被験者の混乱を招く。言葉面は楽しそうでリベラルできもちよさそうであるが、おおよそは臨床においてはすべきではない)というように操体をやってきた人にとっては、連動のしくみ、動診における介助法の『作法』は堅苦しいものに映るからだと思う。(また、今までやってきた『恒常性』を壊して新しいことを理解するのは、相当なエネルギーがいるのも事実である)
一般書なら操体の理念として「息食動想」から懇切丁寧に書く必要もあるだろうし(私も自分の本では書いた)。しかし臨床家向けで、テーマが連動や動診操法に絞られているならば、それはそれでよいのではないか。重要なのだし、必要なのだから。
また、「息食動想」を勉強したいのだったら、創元社から出ている「生体の歪みを正す 橋本敬三論想集」を読めばいいと思う。橋本先生が書いて残した言葉をじっくりかみしめて読み、勉強すればいいのではないか。
周囲をみると、諸先輩や同門は、「生体の歪みを正す」を、ぼろぼろ、あるいは書き込みだらけにして熟読している。
なので「息食動想」をもっと勉強したいのだったら、橋本先生の著書をお読みなさい、とアドバイスしたい。
逆に言えば、2007年現在、8つの動きとその連動性が明らかになった今、「連動は操体に関係ない」とか「動きは人によって違う」と言ってはいられないと思う。ちょっと前は「動きは人によって違うから、連動は決まっていない」でも良かったと思うが、連動の仕組みが明らかになった今、そうは言っていられない。
それもその人の受け取り方だと思うので仕方がないと思うが、非常に残念としか言いようがない。
この方は多分「操体法 −生かされし救いの生命観−」は読まれていないだろうと思ったりもする。あれも最近出た本だが、三人の筆者がそれぞれ「息食動想」についてスタイルは違えどちゃんと書いてある。7000円するからかなぁ(笑)。