操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

楽しくわかる操体法

lovecats2007-09-21

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「楽しくわかる操体法」医道の日本社

姉妹ブログ「操体法大辞典」に載せたものを加筆訂正したものです。

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新刊案内 楽しくわかる操体法医道の日本社)1890円
2007年8月10日発売
今昭宏、丸住和夫共著

『楽しくわかる・・』の、もう一人の共著者、まるずみかずお氏は『操体法治療室』の、イラストを描いていらっしゃる(今先生のパート)ので、絵柄を見れば「あ、あの絵ね」と思う方も多いと思う。

操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

操体法治療室―からだの感覚にゆだねる


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対象は一般、学生、あるいは介護などをしている方だと思う。
イラストは介助法や手のかけ方などが詳細に書かれているわけではない(というか、それが目的の絵ではないことは確かである)雰囲気がイラストからは十分伝わってくる。楽しい絵柄である。

読んで思ったのが、皮膚へのアプローチについての私達との考え方の違いだった。まるずみ氏は「皮膚」ではなく「かわ」と書かれているが、以前まるずみ氏の勉強会に参加した同門が、「床を激しく転がるような動きが出ていた」という話をきいており、それが「かわ」の操法だったということを思い出したのである。

渦状波(カジョウハ)ではそんなことはあまり起こらない。なので「何でかなぁ」と思っていたのである。

私は師統(師匠の系統)に従って「皮膚」と言っているが、皮膚へアプローチするというイメージと「かわで操体する」というのではイメージが大きく違ってくるし、受け手の感じも変わってくるのだと思う。


幸いに私は今先生、師匠から同時に皮膚へのアプローチを受けたことがある(役得というか、ラッキーというか)。敢えて言うなら『皮膚には指尖で触れる』『かわをずらす、しぼる』という感じなのだが、『ずらす』のは面の渦状波(渦状波には『面』と『点』がある)に似ているが、やっぱり『皮膚をずらす』と『かわをずらす』というのは違う。皮膚は薄いもの、皮は厚いもの(?)例えばツラの皮とか?!不思議だ。

以前ブログにも書いたが、今先生に触れてもらった時だが、『外から動いてきて、次に中が動く』という感じがし、師匠の皮膚へのアプローチは『中から動く』というのがわかった。また、触れ方のセオリーもそれぞれ違う。触れ方一つで被験者の感覚と動きが変わってしまうのは何とも面白い。

同じ皮膚へのアプローチでも、操者の皮膚の動かし方が全く違うのだということがわかった。一番大きな違いは「皮膚」だと思って触れるのと、「かわ」だと思って触れるのでは、これまた違うんだなあ、ということだ。

もう一つ、大きな違いは「かわ」を動かすことによって、その動かした刺激で快不快を聞き分けているのだろうということ。おそらく、コンタクトしている箇所で快不快をききわけさせているのではないかと思う(間違っていたらすいません)。

皮膚へのアプローチ(ここでは渦状波)は、面で行うこともあるが薬指と中指の指尖でそっと触れるだけだ。そして何か感覚がつく(快とも不快ともわからない感覚を『予備感覚』と呼んでいる)のは触れている場所とは限らない。その辺りも違うか。


また、この本に書かれている「自動運動」は手技療法や介護やリハビリなどの世界で定義している「自動運動」とは意識関与という意味で注意が必要だ。

他動運動というのは『誰にとっての他動運動か』ということで、患者さんが他の力(機械とか、器具とか)を利用しての運動を言う。自動運動、というのは他動運動の対になる言葉で、自動介助運動、自動運動、つまり目的の部分を自分で動かす運動を指す(と、学校で習った)。つまり、意識関与している動きだ

この本で使われている自動運動というのは、これとは反対の意味で、患者さんの体が勝手に動くことを自動運動と記載しているようだ。つまり、自発動とか、野口整体で言う活元のようなものだろうか。