お陰さまで東京操体フォーラム(2008年春季)が終了した。
今回は、温古堂に勤務・橋本敬三先生の身のまわりの世話をされていた今美代子氏をゲストスピーカーに迎えて、三浦先生との対談を行った。
実は結構なこだわり屋だったとか(髪の毛を整髪する順番にも決まりがあったらしい)温古堂の冷蔵庫の冷凍室には凍らせた巨峰と冷凍バナナがあったとか、比類なきあんこ好きだったとか、シュークリームを凍らせて食べておられたとか、座布団から立つ時、必ず(?)美代子氏の胸元に顔をうずめてから立ち上がっておられたとか(!)、従業員の女性に「オレ、おめぇにラブだからよ」と、迫って(?)いたとかグラビア好き(!)だったとか、会場は大いにわいたのであった。
その他、32年前に撮影された橋本敬三先生のビデオがついこの間発見されたものを紹介した。これは師匠の箪笥の奥から出てきたそうで、私が業者を探してDVDに落としてもらった。
白黒映像だが、音もちゃんと入っている。レアな映像である
非常に興味深いのは、「力抜いて」という言葉かけの頻度と、瞬間急速脱力の指示の難しさだろうか。橋本医師自身、いくつかの動診で瞬間急速脱力を被験者にやりなおしをさせているところ。そして、「上手い」という言葉がたまに聞かれるが、それはからだとって親切なのではなく、操者にとって楽(操者が言う通りに動いてくれるから「上手い」)なのである。このあたりのジレンマから「快適感覚をからだにききわけて」というようになってきたのではないか。この辺り、第二第三分析を勉強している者が見ていると、橋本医師の考えが読めてくる。
「きもちよく」と言いながら実は「楽」な分析をしているのである。さらに指導者の指示通りに動かない患者に対する苛立ち。
(べつに怒っていたわけではないが、患者に『ひとの言わねぇことすんな!』と大声を出していたのは有名な話である)
また、今回のテーマは「操体の現在・過去・未来」ということだったが、初日の午後、岡村実行委員長が、第一分析と第二分析の動診、その違いを披露した。
第一分析というのは、従来の「運動分析」である。
二者択一の比較対照の動診を指す。対なる動きを比較対照する。そして脱力は瞬間急速脱力。実際のところ、橋本先生が現役時代にされていたのは、この分析法だ。よって多くの方が「これが操体」だと思っているところがある。しかし、現役を引退されてから「きもちよさで良くなる」と、たわめの間も操法の回数も患者のからだときもちよさに委ねるというように変化する。
そしてその次に出て来るのが第二分析である。対なる動きを比較対照するのではなく、その動き自体に快適感覚があるのかないのか一極一比(一極微)で分析する。例えば、首の前屈後屈を比較して楽なほう、痛くない方を選択するのが第一分析であるが、第二分析は、首の前屈自体に快適感覚があるのかないのか、ききわけ、快適感覚がある場合にはそのまま操法に移行する。また、「からだにききわける」分析を細密に行い、例えば「イタ気持ちいい」などの感覚も、よくからだにききわけさせてからだの要求があればその分析をとおすというようになった(第一分析では、少しでも痛い、あるいはひっかかりなどがあれば分析を停止した)。
第三分析
操体には一つ重大な盲点がある。それは、動けない患者をどうするかということであった。また、第二分析においても、快適感覚が全くききわけられない患者の存在もあった。橋本敬三医師自身も、リウマチの患者には手を焼いていたらしい。そのような患者に自らも壁にぶつかっていた三浦寛(橋本敬三の愛弟子であり、私の師匠である)は、橋本敬三医師の「運動系」の説明に「皮膚をも含めた」という言葉を見いだす。皮膚による分析法、これが第三分析である。皮膚へのアプローチも、おおきくわけて二つあり、刺激になりうるもの、刺激にならないものがある。私は師統により、刺激にならないアプローチをメインとしている。
皮膚刺激になるものの特徴は、刺激を与えている箇所に快適感覚が即発生する。また、タッチをやめると、快適感覚は消える。刺激にならないものは、最初それがきもちいいのだかそうでないのかわからない感覚(これを「予備感覚」という)がつく。
さらに、触れているところとに感覚がつくわけではなく、昔怪我したところとか、何か問題があるところにつくようである。
その感覚が、表現しようのない、快適感覚に変化し、からだがなおしをつけてくるのだ。この快適感覚は、伸びて気持ちいいとか、縮めて気持ちいいというような感覚ではない。そういう感覚を超越したきもちよさなのである。
ここまで書いてみたが、フォーラム参加者に聞いてみると、初めての参加者はやはり、第二分析の存在をあまり知らないようである。質問にせよ、第一分析に関する質問が多く出た。
第一分析が間違っているとは言わないが、第二、第三分析のほうが臨床的には持続力があるし、効果もあることを知っているので、その辺りが多少もどかしい気もする。「楽」と「快適感覚」の違いがなかなか理解していただけないのも同様だ。
これもこれからの課題の一つである。