2008年3月から、東京操体フォーラム実行委員でブログを書いている。総勢約20人で書いているので、なかなか読み応えがあり、知っているようで知らなかった実行委員メンバーの顔が見えてきたりする。
その中で、理事の秋穂さんが「WOMAN」というタイトルでブログを書いていた。
(2008年6月20日掲載)内容はというと、最近『先生ってものすごく女性的ですよね〜』と言われる、つまり治療をしていても、男子が触れているという感じがしないと言われるのだそうである。最後は『、「元始、女性は太陽であった」と誰かが言っていたように、
今も昔も変わらずやっぱり女性は強いのだ。そんな女性に僕はなりたい・・・ 』で終わっている。
一人の人間の中に、男性性と女性性が存在するのは事実だと思う。それは例えば性別のない仏教の尊格や、天使は完全体として描かれている。それを『男性』『女性』という枠組みにあてはめて、人間自身が縛ってきたのではないかという疑問である。
何年も前に買って、未だにたまに読み返す本がある。
シャクティ・ガーウェインの本だ。男性か女性か推測しにくい名前だが、これはペンネーム。シャクティというのはその名の通り、インドの地母神のこと。ガーウェインというのは、アーサー王物語に登場する、円卓の騎士の一人、サー・ガウェイン
から。ガーウェイン卿は勇猛果敢なキャラクターとして有名である。この名前には女性と男性の象徴のような名前がこめられているのである。ちなみにシャクティは1948年生まれの女性、アメリカ、カリフォルニアに夫と暮らす、self-development(自己啓発)のパイオニアである。人生に於ける、awareness(気づき), balance(バランス) and wholeness(全体)を説く、ベストセラー作家でもある。
シャクティの本は2冊翻訳されているが、絶版になっている。
私がシャクティの本で惹かれたところがあるのは、女王と侍(サムライ)のたとえ話だ。慈悲深く、直感力と愛情にあふれた女王が、雅やかな輿に乗って通りを過ぎてゆく。
民は女王を尊敬し、愛している。一方、女王の輿の横には忠実で強く勇敢な侍が常におり、女王に狼藉を働こうものなら、一刀両断のうちに切り捨ててしまう。なので、女王は安心して、民に慈悲と愛情を惜しみなく与えることができるのである、
いうようなものだ。
これは何かというと、一人の人間の中にある、女性性と男性性をあらわしているのだ。誰でも持っているモノであり、男性は自分の中にある女性性を、女性は自分の中にある男性性を意識し、その統合を図るべきではないか、ということである。
シャクティは、『あなたがもし男性ならば、内なる女性性を育みなさいというのは、決して男らしさを捨てなさいとか、女性のようにふるまいなさいということでありません』と書いている。一人の人格の中に存在してある、女性性と男性性をうまく育んで、バランスをとりなさい、と言っているのだ。これは、誰にでもあてはまることなのだという。
さらにシャクティが言うには、彼女の周囲で、自分の中の相対する男性性なり女性性を育めた人達は、男性は一層男らしく、女性は一層女らしくなっている、というのである。
内藤景代先生は(沖正弘師の元で学ばれたヨガの先生)その著書、『ヤントラ』の中で
興味深いコトを書いている。
●なぜ、永遠の少年・少女は、母なるものに愛憎が半ばするのか?
●なぜ、死と再生をつかさどるのは、女神なのか?
●なぜ、オバサンは図々しいのか?
そして、その後に
●男神と女神の、聖なる結婚
ということも書かれている。
また、天を示す|(縦)と、大地を示す―(横)がバランス良く交わると+(クロス)になるとも。
これにも『統合』という大事なメッセージが秘められているのである。
なお、「なぜ、オバサンは図々しいのか?」という問いに対する答えと、「オジサンはエラソーに、万人について一般論を語るのか?」という問いに対する答えが
書かれているで興味のある方はご一読願いたい。