操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体法と触診・診断分析法その2

毎回触診の実習をやる度に師匠(せんせい)が言うには、『出来て当たり前っていうところから始められるといいんだが、触診は学校でも教えないからな』

昔の弟子というのは、3年位師匠がやっていることを『見るだけ』で、3年位ひたすら見ていると何となく師匠のやっていることが分かってくる。そうしたら『ちょっと触ってみろ』と、患者さんに

触らせていただく、5年位すると師匠から『自分はこういうことをやっているのだ』と詳しく教わる。という道筋を辿った。しかし、現在はそんなに悠長な事は言っていられない。



視診触診は技能である。視診というのは脳の働きから考えると、人間の脳は『見たいところしか見ない』あるいは『見たい情報を選択して認識する』。目が利く、というのもその一種かもしれない。つまり、人体の構造やバランスにいつも注意を払っていれば、その微細な違いや、アンバランスさの加減が分かるということだ。視診などは目の良し悪しにはあまり関係ないような気もする。私はものすごい近眼で、コンタクトレンズを使っているが、それでもあまりよく見えない。しかし、見るとわかる。また、慣れてくると被験者が動いていてもその歪みがわかる。『目を鍛える』ということなのだろうか。



師匠が『臨床家にとって、五体満足というのはもしかしたら却ってマイナスなのかもしれない』と言っていた。確かに視力障害を持つ鍼灸師の触診を見たことがあるし、盲学校の鍼灸科の生徒達の授業に参加したことがある。私はモデル役を務めたのだが、彼らの触診は的確だったのを覚えている。



自信なさげな触診や、なかなかあたらない触診は患者(被験者)にもすぐ分かる。それが不信感に繋がるのは勿論である。最も乱暴であるとか、それまで行かなくともぞんざいな触診が良くないのは勿論である



触診に自信が無い場合や、触診をおろそかにするとどうなるかというと、患者やクライアントが『ココが痛い』というところを動かしたりしてしまうのだ。(痛いところを動かしたりしなくとも、患部からなるべく遠くからアプローチするほうがよいに決まっている。炎症を起こしていたり、痛みのあるところを無理矢理動かすのは

傷口に塩をかけるようなものなのである)



操体臨床をやっていると言いつつも、触診をろくにせず、いきなり患部を動かしたりするのはお粗末な話であり、素人と同じである。



★すいません、私のブログは臨床家あるいは臨床家希望者に向けて書いてますので。



操体のプロと愛好家の違いは『視診・触診力』も含まれる。



というわけで、『足趾の操法の集中講座に続いて、視診触診、その他からだの見方についての集中講座でもやりましょうか?』と、師匠と相談中である。



視診触診(特に触診。いや、視診がおろそかでもどこに触れるか判断できないのだが)はどのようなり臨床においても大切なのだ。kれができると、後々うんと役に立つ。



というわけで、企画中です