操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

女装する女・・・

女装する女 (新潮新書)

女装する女 (新潮新書)


こんなに面白い新書は久しぶりに読んだ。
イラストはしりあがり寿画伯。素晴らしいチョイスである。
もしも、女性に限りない幻想を抱いている男子が読んだらショックを受けるかもしれない(笑)

散歩コースの『銀座Apple Store』→『伊東屋』→『八重洲ブックセンター』→『日本橋丸善』→『高島屋(のデパ地下)』で、最近一番ゆっくりするのが日本橋丸善八重洲ブックセンターもいいのだが、丸善は照明が丁度いい。丁度いいというのは、何だか書斎っぽいということだ。八重洲ブックセンターは蛍光灯がこうこうと照っていて明るい。意イメージで言えばオフィスのデスクと言ったところだろうか。その辺りを気分で使い分けるのも楽しいものだ。

この本は、私が購読しているメールマガジン、「仕事美人のメール作法(神垣あゆみ氏)」で紹介されていた。というか、その前日に書店に行った時、何気に目についていた本だったのだ。これも何かのご縁ということで購入。移動中の地下鉄の中で読む。

「女が女装する」ということに対して、ほとんどの女性が「あるある」と膝を打つ。が、男性にとってこの事象は簡単には理解できないらしい。
「だって、女が女らしくするのは自然なことでしょ?それは女装とは言わないんじゃないの?」
当の女性にしたってあんまり深く考えずに「あー、最近仕事がハードすぎて、女、忘れている」とか、「パソコンのキーボードを叩く指先にキレイにネイルが入っていると、自分が女だって確認できる」などと口走っているわけで、この問題は誤解されやすいのだが、「男性が女性の服装で装う=女装」と同義なのである。女性がおしゃれの照準針をフェミニン方向にぐぐーっと寄せて装う時、その心は、ほとんど男が「女装」するがごとくの心境なのだ。

なるほど。
私が膝を打ったのは、「女性のプロの皆さんの波乱万丈の自伝は女にとっての東映ヤクザ映画、とみなすこともできる」(この場合のプロ、とは叶恭子だったりする)また、『女帝』

女帝 1 愛蔵版 (ニチブンコミックス)

女帝 1 愛蔵版 (ニチブンコミックス)

と『女帝 花舞』
女帝花舞 1巻 (ニチブンコミックス)

女帝花舞 1巻 (ニチブンコミックス)

。私もこれはマンガ喫茶で『島耕作』(すでにここらへんが)と一緒に一気読みした記憶がある。本来はオヤジ系の劇画誌に連載されていた。内容と言えば、九州の田舎娘(実の父は後に総理大臣)がその『女力』を利用して銀座の『女帝』となる話である。「花舞」は、その女帝を母に持つ高校生が母に反発して家出、京都祇園で舞子、芸妓となり祇園で頂点を極めるという『女一代記』ストーリーだ。まさに「これが女の生きる道」ロマンなのである。

これを読む女性達の心境は、もはや、西郷隆盛のリーダーシップを月刊「プレジデント」で読んで学ぶ、オヤジ管理職とほとんど同じ。”女”を客体化する視線は、彼女たち内命の視線が、女という自己意識から隔たっていることのあらわれでもある。

っていうか、私もこれは一気読みした気がする(笑)

また、最近は「草食系男子」(装飾系男子、といってもいい?!)と「肉食系女子」という言葉もちらほら聞くが、肉食系女子で思い出すのは私がこよなく愛する『モンキー・パトロール』ではないか?

モンキー・パトロール (フィールコミックスGOLD)

モンキー・パトロール (フィールコミックスGOLD)

参考:wiki
参考:日経WOMAN

もう一つ、なるほど、と思ったのは最近私もよく読んでいる勝間和代氏のネイルサロン通いである。パンツスーツで自転車を乗りこなす女史であるが、著書をよく読むと、『まつげパーマは時短になる』とか『永久脱毛も時短』と書いてあったりする。更に最近の著書には、ネイルサロン通いの事も書いている。『元コンサルタント』とか『経済評論家』という肩書きを考えると、まつげパーマとか脱毛とかネイルサロンは余り繋がらないような気がするが、著者によると、『三人の子育てと素晴らしいキャリア両立させている、機能性の固まりのような彼女にその指先があるだけで、やはり、その人物の印象に深みがでる』とある。確かにそれは言えている。先にも書いたが、私は以前勝間氏の本で「まつパ」と「脱毛」が書いてあったのを発見した時に、直感的に『タダモノではない・・・』と感じていた。もしかしたらそういう共感もあるのかもしれない。

そういえば、

働きマン(1) (モーニングKC (999))

働きマン(1) (モーニングKC (999))


働きマン』についても言及があった。私もモヨ子さんは好きで、やはり言及されている「さくらん」
さくらん (イブニングKCDX (1829))

さくらん (イブニングKCDX (1829))


は連載当時から読んでいたし(イブニングを読んでるというのがすでに??)映画も見た(土屋アンナの花魁道中は良かった)。
私はテレビは見ていないのだが、ドラマ化した時、主人公が『男スイッチ入ります!』という決めぜりふで『仕事モード』に入るというシーンがある。これに関して著者は『おそらくドラマの制作は男性がしたものである』と推測している。
今時の働く女子は、仕事モードに入るときに『男スイッチ入ります』というチェンジは行わない。むしろ、「ここぞ」と言うときに
『女スイッチ、入ります!』というチェンジを行う、というのである。これは全く同感だ。
この辺りが微妙な男女差なのか?