操体法大辞典

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会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く

会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く (光文社新書)

会社に人生を預けるな リスク・リテラシーを磨く (光文社新書)

「リスク」という言葉から思い浮かぶのは??
リスクを考えすぎて何の行動も起こさないのは問題外だが、リスク対策を何もせず、思いつきで『どうにかなるさ』というのはちょっと早計か。

大学を出た時の事を思い出す。それでなくとも母親は『女が四大に行くなんて』と言い反対した。父は賛成してくれた。本当は大学院に行きたかったのだが、大学3年、4年の頃に父が体をこわしたりして『大学院なんてとんでもない』と母親に言われた記憶がある。男女雇用均等法が施行された後だったが、うちの大学には何と就職課がなかった(あったのかもしれないが、記憶がない)。
当時を考えると、大抵は縁故などで間に合ったらしい。今は勿論あるのだが、何とものんびりしていたのである。
今では私の他に親戚の中で四大卒女子がもう一人いるが(親戚が多いんですけどね)、私は実は長らく一族一の高学歴女子だったのである(大袈裟)。

また、『女子は短大でも出て、何年かお勤めしてヨメに行く』という考えがまだまかり通っている時代でもあった。しかし、同時に『英語ができること』に対して、野心ある女子は英語力を磨こう、という風潮が高まった時期でもあった。私は英文学専攻だったが、本格的に英語の勉強をしたのは、社会人になってからだった。

ちなみに私は大学を出てすぐ外資系でアルバイトをしており、半年くらいしてから正社員になった。勝間さんの本にも書いてあるが、当時は『外資系』というのはマトモな人は行かないところだと思っている人が大勢いたのである。(実際、日本の会社ではやって行けなさそうな面白い人が沢山いたが)私の同僚は、やはり外資系でしか勤務経験がない筋金入りの外資系秘書だったが、近所の人に『外資系なんか行くと、パンパンになる』(信じられないだろうが、そういうことを言われたらしい・・・)とか、デンマークの会社だったので、『フリーセックスの国だからデンマークの会社なんかに行くと愛人にされる』とか、とんでもないことを言われたらしい。なので、当時外資系勤務というのはまっとうな?日本企業に勤めている方々にとっては、トワイライトゾーンのようなものだったのだと思う。ちなみに「フリーセックス」という言葉が日本ではえらく誤解されて伝わっており、本来は少子化対策として、映像や写真の規制を無くしたのと、婚姻届けを出していようがいまいが、『事実婚』を認めたというのが歪曲されて日本に伝わったらしい(笑)日本では『あちらの方々は節操なく誰とでもフリーで』(おいっ)という多大なる妄想あるいは誤解を抱いた日本人は少なくなかったのである(勿論そんなことあるわけないのだが、

本当だったら「アンデルセン」とか「チボリ園」とか、「ロイヤルコペンハーゲン」とかを想像して欲しいのだが(笑)

特に我が家は父親がTBSに勤めていたし、『女が四大に行くなんて』という母の言いつけを守った妹は大手某製薬会社の子会社に入ったりしたので、デンマークの日本法人に入った私は親にとっては全くトホホだったに違いない。母親などは、私が上場企業ではない会社(それもデンマークだよ)にいたのが恥ずかしかったのか、『娘さんはどこにお勤め?』と聞かれても何だか口を濁していたらしい。
両親は妹の会社の人とはお付き合いとかしていたようだし、妹は父親の会社(TBS)に出入りしていたりしたが、四大を出て外資に言ったムスメは余程恥ずかしかったらしく、一度などは自分の勤務している会社を『ウチの会社』と言ったら(普通言いますよね)、『そんな会社、ウチの会社って言うな』とか言われたこともある。

しかし、独特の『外資文化』というものの中で、基調な時間を過ごしたわけである。特にその会社は、昭和20年の8月20日だかに日本に設立されたという会社で(当時、設立当時からおられたというおじいちゃまもいた)、社長秘書の方などは、定年退職された位であるから、戦後の「外資系」を見てこられたわけでもある。

その後、面倒を見てくれた上司が、部下を引き連れて別の会社(勿論外資)にヘッドハントされた。私はしばらくその会社に残っていたが、新しく来た上司(女性のバリバリ営業部長)に『ど〜せあなたも○○さん(ヘッドハントされた元上司)のところに行くんでしょ〜』と言われ続け、円形脱毛症になった(笑)そこで転職するのだが、日本の会社(携帯電話某社と、文具事務機大手が出資した会社)だった。
当然、ドメ(Domestic)の会社なので、私はまるで帰国子女のようであった(笑)ものすごいカルチャー・ショックだった。
まあ、その後また北欧系の会社に戻るんですけどね私。何故か北欧系なんですよ。アメリカ系だったらダメだったかも(笑)。
また当時、外資系企業の世界というのは割と狭く、転職した別の部の部長の秘書が私の友達だったりとか、新しく入ってきた女性係長が、実は外国人が多いスポーツクラブでは『させ子さん』で有名であったとか、なかなか面白くもあった。女性の管理職も沢山いたし、子育てが一段落してから復帰している女性も多くいた。つまり『女子は短大でも出て二〜三年お勤めしてその後寿退社で専業主婦』というようなことは考えもしなかったのである。

それから、この商売(操体ね)に移行する際、派遣社員としてしばらく二足のわらじを履いていたわけなのだが、その時に行ったのが、日本の大手上場企業ばかりだった。なので、『ザ・ドメスティック』会社も経験したのだが、これもなかなか勉強になった。両方体験すると、外資とドメスティック両方のメリットとデメリットがわかる。これはなかなか貴重な体験だ。

実際、会社員経験というのは、自営や自由業、フリーになった時に役に立つ。いや、一度フリーや自営を経験すると、税務申告とか保険とか、サラリーパーソンが如何に月給から引かれているか(それも天引きだ)など、目から鱗のことも多いのだが、会社員経験は一度はしておいたほうがいいと思うのだが。