操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

どこで操体を受けようか?操体のプロの地位向上委員会

最近「ネットで検索すると、『操体』って沢山ヒットしますがどうやって選べばいいのでしょう?」という問い合わせを非常に多く受けます。

近くなら「師匠(三浦寛先生)か、私のところへ(笑)」または「フォーラム実行委員のところへ」と、答えるところです。

現在は、お会いしたことがあって、その先生の操体を存じあげている場合に限ってご紹介をしていたのですが、逆に、ネット上でこれだけの情報が流れているとなかなか難しいものです。



まず、最初に一番大事なのは、その方(実践者)が、

1.臨床家(専門家なのか)

2.健康体操指導者

3.愛好家



明確なことですが、臨床家は臨床もできるし、スポーツクラブやサークルでも指導ができるし、自分でセルフケアもできます。

ちなみに、世の中には本を読んだりビデオやDVDを見たりして、自分なりに理解しただけで『操体ができる』とうたっているケースも多いことをご承知置き下さい。



また、操体の分析方法は全ての臨床に応用できますが、それをちゃんと理解せず(楽と快の違いとか、動診と操法の違いとか)に

『わかってないでやってる』ケースが多く、『わかってやってる』専門家の足を引っ張っていることもお知りおき下さい。



分かってないのに(勉強する機会やチャンスはいくらでもあるし、勿論私に相談して下さっても構いません)、『実験』や『お試し』程度で中途半端な『操体もどき』をされて、結果が出ない、出ないだけならまだしも、壊されちゃう方々が気の毒です。





操体専門である

操体をいつ、誰に習ったか明記している



もう少し突っ込むと

・『どちらがきもちいいですか』とか『きもちよさを探して』という指導をしているケースです。これは私が常々書いているように『楽』と『快』の区別と『動診』と『操法』の区別がついていないのです。



二者択一の分析方法で、対なる二つの動きを比較対照する場合には『どちらが楽ですか、辛いですか』という問いかけは可能ですが(これを『第一分析』と言います)対なる二つの動きを分析する場合に「どちらがきもちいいですか」という問いかけをするのは、操者の理解不足です。というか、きもちよさで分析するのだったら、一つひとつの動きに快適感覚があるのかからだにききわける『第二分析』の問いかけをすべきなのです。



★この違いを実際にうけて比べて頂くと明確にわかります。

★快適感覚をききわけさせるのに、分析法だけ『第一分析』では上手く行かないのです。何故ならそこには『可動域がいい方』=『きもちいい』という操者の思い込み、決めつけがあり、言葉だけ『きもちよさ』を使っているという矛盾があるのです。これは私も通ってきた道なので良く分かります。



『きもちのよさを探して』というのは、動診と操法の行程を理解していないのです。きもちの良さをききわけさせるのは『第二分析』です。その場合、ある目的に適った動き(例えば足関節の背屈とか)を行い、末端からからだの中心腰、腰から全身へとゆっくり動かしてみて、感覚をききわけるわけですが、これが動診、すなわち診断です。ゆっくりと動きをとおしてみて、快適感覚がききわけられるまでが『動診』なのです。ここまでは操者の指導に従ってからだを操っていただきます。そして、快適感覚がききわけられたら、そこから『快適感覚を味わう』のが「操法」になります。操法に入ったら、後はきもちよさに委ねてかまいません。これが、動診と操法の違いです。



「きもちよく動いて」というのも考え物です。きもちよく動いていい(きもちよさに委ねていい)のは、快適感覚がききわけられてからなのです。最初、動診では感覚をききわけるのが目的なのですから「きもちよく動いて」というのはヘンなのです。



また、圧痛硬結を押して、逃避反応を促す場合もありますが、この時の動きは、痛みから逃げる『無意識』の動きです。これがどこかで勘違いされたのか『きもちよさを探して動く』になったのかもしれません。探して動く、というのは意識の動きなので逃避反応とは全く違います。



なお、フォーラム相談役の平直行さんに聞いたのですが、武術では『感覚を探す』『探る』という言葉を使うことがあるそうです。

私が思うに、武術や武道をされている方は『探してもわかる』ケースが多いようです。この場合、彼らは『無意識のうちにやっている』のでしょうが、症状疾患をかかえた普通のクライアントに『きもちよさを探して』と言っても『?』というケースのほうが多いのです。つまり『きもちよさを探して』と、操体臨床で言う指導者は、自分ができるからといって他人もできると思っているか、動診を操法の区別がついていないのです。



★「橋本敬三先生に習った」というケースは要注意。橋本先生は定例講習などはされていませんでした。中には地方での講習に行ったとか、仙台に行って何度かお会いした、あるいはファンとして温古堂に行ったという程度の『自称弟子』が結構います。

また、橋本先生は『操体を習いたい』という方々に対して『東京に弟子の三浦がいるから、そっちに行け』と言われたそうで、それで操体法東京研究会操体を勉強されたのが(って30年位前ですが)、連動操体根本良一氏、K医学のU氏などです。



最初に率直に言いますが、『操体を受けたいのだったら専門家』をお勧めします。餅は餅屋なのです。



自分が専門家だからではありませんが『操体操体法をやっているとうたっているところが(それも専門家と健康体操指導者と愛好家)全部同じではない』ということです。



私も操体専門で開業して長いですが(15年目)、『行ったけど操体をやってもらえなかった』とか『何だかよく分からなかった』

というお問い合わせを受けることが多いのです。中には『ぶっこわされた』というのもあり、これは私達、操体の専門家にとっては非常に迷惑(笑)です。



中には、私が大昔ちょっとだけ教えた方に習った(というか、教えられるまで指導した記憶がなくて、何度か習いに来たっきりで音信不通)というのもあります。これには私も驚きました。



それも『操体専門じゃないところ』とか『健康体操指導者』とか『アマチュア』『本で読んだだけ』の人から受けてぶっ壊されたのではトホホな上、操体、あるいは操体法自身の評判を落とすことにも成りかねません。



★これを心配して、私は各地の操体指導者に協力と連携を、東京操体フォーラムを通じて呼びかけているのですが、なかなか皆さんお尻が重いようです。

★なお、橋本敬三先生は「自分は組織の長にはならないよ」と言われましたが、それがどこかでねじ曲げられて一部の方が

操体は組織を作っちゃいけないよ」という捉え方をするところが出てきました。なので、現在操体には全国的に統一された組織があるわけではなく、いわば『野放し状態』で、操体臨床の専門家も、操体を健康体操としてやっている体操指導者も、アマチュアも(もっと言えば、10000時間以上操体の勉強をしたプロと、三日間の講習を受けたプロと、本を読んだだけの方も)全部一緒くたにされているのが現在の操体界の実情です。

また、きちんとした組織がないために、『作ったモノ勝ち』みたいなところがあって(笑)、実際に作ったモノ勝ち、みたいなところがあります(笑)例えば私が本を読んで『よし、何か操体の組織を作ろう』と、私が『江戸川操体の会』とか作ってしまえば、できてしまうのです。



★そのために、今、操体の専門家の地位向上のために組織を立ち上げたいと思っているのですが。これは縦の組織を越えて、横の繋がりを作っていきたいのですが。



どなたか、いらっしゃいませんか??





おまけ。



「自力自療」ということを説明しましょう。

よく「操体は自分でできるから」という方がおられます。勿論間違いではないのですが、自分でできる、というのは決して『一人でできる』という意味ではありません。正しくは「自力自療」と言います。

書籍の中に「ひとり操体」「ふたり操体」というのがありますが、一人でやるから一人操体、とかそういう単純な意味ではないのです。自力自療とは、「患者(被験者)が、医療者の立場に立つ」ということを指します。「本人にしかわからない感覚をききわけ(診断:操体では動診)、きもちのよさがききわけられたらそれを味わう(治療:操体では操法)」のが操体だからです。

この「感覚のききわけ」は誰か他人に代わってはもらえません。なので、「自力自療」なのです。また、症状疾患の度合いや、自力自療が適わない(自力自療では間に合わない、自分の力では快適感覚のききわけが適わない)方々のために我々プロがいるわけです。

というか、「感覚をききわける」ということに慣れていない方が圧倒的に多い現代、『感覚をききわけさせるためのプロ』が我々操体の専門家とも言えます。操体では、操者(指導者)はあくまで補助するのが役割ですが、そこはプロなので、『如何に感覚をききわけていただくか』の引き出しを持っています。



以上 操体のプロの地位向上委員会発起人畠山でした