先週の講習(特講:操体法東京研究会定例講習)では、「何故健康が傾斜して病気になるのか」というのがテーマだった。操体の考え方で特徴的なのは、病気になる順番を、現代医学とは全く逆から捉えているということであろう。
操体には「○○に効く操法」というものはない。つまり症状疾患にとらわれない。いわば、「病名にとらわれない」ということでもある。このことから考えても、病の捉え方が現代医学とはあべこべになっている。
息+食+動+想は、他人に代わってもらえぬ自己責任であり、これを「最小限責任生活」という。そしてこれらの営みは自律可能である。そして更に親切な事に、これらにはそれぞれ上手い使い方がある。人にあまねく与えられているのだ。しかし、その使い方を知らないで好き勝手に暴走すると、バランスが崩れる。
例えばからだの使い方、動かし方にはルールがある。そのルールを守ると、
・運動効率がいい
・疲れにくい
・作業能率が上がる
・フォームが美しい
などのいいことがあるのだが、それを無視していると「動」の営みのレベルが下がる。
「息・食・動・想」は、同時相関相補連動性」と言って、どれかの営みが悪くなると、つられて他の営みのレベルも下がってくる。「息・食・動・想」は密に繋がっているのである。
このバランスが崩れてくると、ボディーが歪んでくる。ボディーが歪むとどうなるか
A きもちわるい(つまり、不定愁訴)となる。「感覚異常」です。
この段階で病院に行っても何ともない。しかし何となくヘンだ。
これを操体では「非特異的症候群」言う。
★本来はこのあたりで『未病』のうちに解決してしまうのが一番いい。これを東洋医学の言葉で『上医は未病を実す』という。いい医者は病気にならないうちに治してしまうという意味だ。
★操体に興味があるのだが、たかが肩こりくらいで、と躊躇している方もおられるが、本当は「何となくヘン」なうちにメンテナンスしたほうがいいのだ。そうすれば早く回復するし、施療にかかる期間も回数も、強いて言えばお金もかからない。
後述する「器質破壊」まで行ってしまうと、期間がかかる。また、破壊具合によっては、回復未了の場合もあり、橋本先生は「何故治らずに亡くなってしまう方がいるのですか」という問いに「治る前に亡くなってしまう」と答えている。
その段階が進むと今度は「機能異常」が起こる
A’(感覚異常)+B(機能異常)
感覚異常には「ダッシュ」がつく。この辺りでは「なんとなくヘン」から
『胃が痛い』とか自覚症状が増大してくる。
更に進むと
A’’(感覚異常)+B’(機能異常)+C(器質破壊)となり、
精密検査を受けると、やっと病名診断が下される。
治っていくのは「感覚異常」からである。
先程、現代医学とはあべこべだ、と書いたが、現代医学は例えば胃潰瘍の場合、胃の組織に病変が起こり、それが病気の原因だと言っている。だから、「胃が痛いから胃が悪い」と言うのだ。
なお、「操体は自分でできるから」という方がよくおられる。
勿論これは事実なのだが、シンプルなものほど難しいということを忘れてはならないし、操体の創始者、橋本敬三先生は、患者には「簡単にできる」と言われ、弟子には「よくこんな難しい事に首を突っ込んだな」「操体は面白いぞ。一生楽しめるからな」と言われた。
つまり、患者と弟子では言うことが違っていたのである(笑)