操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体法講習会。今年最後の講習日

12月22日から5日間、某健康系の講習に参加してきました。朝9時から夜6時15分、90分5コマという講義はスポーツプログラマーの講習、あるいは大学以来の気がしますが、講師陣は素晴らしい先生方ばかりで、非常に勉強になりました。



さて、今年の営業ですが、本日までとさせていただきます。

12月29日〜1月2日 1月3日(日)から営業いたします。1月2日はもしかしてご依頼があればお受けするかもしれません。年明けはこの某健康系講習の後半が1月8日〜11日まであるので、こちらもお休みさせていただきます。



1月16日から 視診触診集中講座がはじまります。全6回。お申し込み受付中です。





昨日、12月27日、今年最後の講習だった。11月22日、12月13日とそれぞれ秋のフォーラム、ゴールドジムでのセミナーと、レギュラーの講習はお休みだったので、久しぶりに本来のプログラムにもどった。今回は手関節の「橈屈」「尺屈」の介助補助の復習。前回は正座位で手は前方水平位(手掌は下向き)への介助だったが、今回は様々な角度からの介助を行った。



途中で、動診と操法についての基礎的な復習も行った。

先日初回のクライアントの方から聞いたのだが、あるところで操体を受けたのだが、『きもちよく動いて』という指導をされたのだそうだ。この「あるところ」の方はホームページでTEI-ZANで習ったとか三浦寛先生の講習を受けたと書かれている。実際に指導したことはあるが、師匠も私も『きもちよく動いて』という指導はしていないし、『きもちよさを探して』という指導もしていない。その辺は何とも言えないが、講習を終えてから『塾・操体』に来るわけでもなく(操体法東京研究会では、修了生に門戸を開いている)、フォーラムに来るわけでもなく、『きもちよく動いて』と、暴走しているのだろうと思った。なお、この方に対しては、以前『きもちよさを探して(動く)と、橋本敬三先生は言っておられない』と注意したことがあるが、『そういう操体があってもいいじゃないですか』との事だったので、そのままにしてある。放置プレイである。



しかし、そちらに行かれて『きもちよく動いて、っていわれてもわかりません』という方々が一人ではなく相当数私のところにいらっしゃるのだから、少し困ったものである。



っていうか相当困ってるんですが(爆)



★比較対照で『どちらがきもちいいですか』という問いかけをしている場合、あるいは、最初からいきなり、本人の感覚を確認しないのに『きもちよく動いて』という問いかけをする場合、または『きもちよさを探して』という指導をしている操体法指導者は、『楽』と『快』の違いが分かっていないのと、『動診』(診断)と『操法』(治療)の区別がついていないと思っていい。



つまり、わかってないでやってるのである。それで「操体法」ってお金頂いてるわけだ???



★なぜ、どちらがきもちいのか?ではいけないのか。

橋本敬三先生の書籍の中で、「きもちよさ」という言葉が出てくるのは「マストから落ちた男」という一節である。マストから落ちて頭蓋骨を陥没骨折した水夫の頭蓋骨を診ていて、陥没箇所の反対側が盛り上がっているので押してみるときもちいい。なのできもちいいなら押してやれ、と押していたら陥没が盛り上がってきたという話である。これは「きもちいいことをして(きもちよさを味わった)」良くなったという例である。

この他にも「やってみると比較的きもちよさがききわけられる動き」をさせて、脱力させるという操法もあった。このへんが「快適感覚」の起源だと思うが、膝を左右に倒して倒しやすいほうに倒して瞬間急速脱力させるとか伏臥位で膝を腋窩に挙上するとか、首を左右に捻転し、楽なほうに動かして、抵抗を与え、脱力させるとか『楽か辛いかの比較対照』が操体法では圧倒的に有名であった(第1分析)。今でもおそらくそうだと思う。第1分析をやっているのだったら、第1分析をやっていればそれはそれで、橋本敬三先生が現役時代されていたことなので、いいのだが、第1分析をやってるくせに、言葉だけ「第2分析の真似」をしているケースが問題である。



ところで、橋本先生ご自身85歳を越してから『楽と快は違う』『呼吸は自然呼吸でいい』という変化があったが、その辺の詳細は書籍には書かれておらず、『楽か辛いか』『瞬間脱力』がメインである『万病を治せる妙療法』や『操体法の実際』(これは橋本先生はあくまで監修)が未だに売れており、それが市井に広まっているという状況にある。



ところが、1990年代あたりから『快』(きもちのよさ)が急に注目されだした。それまで『きもちいい』とか『快』という表現は日常的なものではなかった。私が思い出すのは、薬師丸ひろ子主演の『セーラー服と機関銃』(ふ、古いっすか?)で、セーラー服姿の薬師丸が機関銃をぶっ放して、最後に『カ、カイカン・・・』と呟くシーンだが、あれにせよ恐らくエロティックな意味があったのだと思う。また、むやみに女子が『きもちいい』とか『カイカン』と言ってはいけないような時代だったのかもしれない。



しかし、『脳内革命』が出版される前後や、精神世界ブーム、リラクゼーションブームなどのあおりもあってか『快適感覚』というのが日常的になってきた。

そして1999年、全国操体バランス運動研究会の頃は誰もが『楽』でなく『きもちよさ』に移行したように見えた。



見えたというのは、言葉だけ『キモチヨサ』になっても実際やっているのは『楽か辛いかの比較対照』だったということだ。



それでは、何故『どちらが楽ですか、辛いですか』という問いかけはよくて、『どちらがきもちいいですか』という問いかけはあまりよろしくないのだろう。仰臥で膝を二分の一屈曲位にとり膝を左右に倒して分析する。どちらが楽か辛いか(倒しやすいかそうではないか)は比較的わかりやすいのではないか。勿論、バランスが取れている場合は『楽で何とも無い』のであるが、どちらか楽なほうを選定してから、改めて楽な方に倒すという操法に移行するのである。しかし、『きもちよさ』で問いかけるとどうか。きもちよさは比較しにくいということもあるが、きもちよさ(快)というのは、膝を倒すという動きそのものに由来する。右に倒してきもちよさがききわけられて、左に倒してそうでなかった場合、さて右がいいのね、と改めて右に倒しても果たしてそれにきもちよさが聞き分けられるのかはナゾなのである。また、この場合選択できてもこれは『快』ではなく実際には『楽』をききわけさせているのである。

きもちよさがききわけられるのだったら、そのまま操法に繋げていけば『快適感覚をききわけ味わう』という動診操法が行える。



このような理由で、『快適感覚』を操法の指標とするのだったら、対なる動きの比較対照ではなく、一つ一つの動きに快適感覚を問いかけるべきなのだ(第2分析)。



『きもちよく動いて』というのは、『受け手が感覚をききわける』という『動診(分析)』を無視している。操者がクライアントの『快適感覚を確認』してから操法(治療)に移行しているのではない。また、操者がクライアントの『快適感覚』をキャッチするのはある程度熟練が必要であり、また、からだの動きを知っているので、どのように動けばいいのか、あるいは快適感覚をききわけやすいような介助や言葉の誘導を知っている。ところが熟練した先生の真似をして(被験者の感覚の確認せずに)言葉尻だけで『きもちよく動いて』と言っているだけのケースが多い。当然、確認していないわけなので、『きもちよく動いて』と言われたクライアントは動き方が分からない。そこで、『探して色々動いてみる』のである。きもちよさを探す、というのは実際やってみると大変なことがわかると思う。探して尋ね当たるのは『きもちよさ』よりは『楽』か『何とも無い』ところである。



・・・今年も『楽と快の区別をつけよ』『動診と操法の区別をつけよ』『キモチヨサを探せ、ではない』『被験者の感覚の確認をせずに、きもちよくうごいて』とは言うな、と言ってきたが(笑)多分恐らく来年もいうと思う。



あなたの操体臨床が上手く行かないのは『楽と快の区別』『動診と操法の区別』がついていないからなのだ。また、それを知らずして臨床に挑むのは、クライアントあるいは患者様にとっては迷惑千万な話であるし、それで結果が出ないのを操体の所為にするのはお門違いというものだ。



というわけで、また似たようなことを書いてしまったが(笑)、実際私のところに『きもちよく動いて、って言われたけど良く分かりません』とか『きもちよさを探して、っていわれたけどわかりません』とか『どちらがきもちいいですか、ってきかれましたが分かりません』という方が来るわけなのです。