操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

いままでの10倍ラクに記憶する法

自分が暗記が得意なんだか不得意なんだかよくわからない。というのは、覚えられるものとそうでないものがあるからだ。多くの人は不得意の分野を覚えようとして、それが頭に入らないから『自分は記憶力が悪い』と思うのかもしれない。ちなみに私は『アカシャ・メモリー』を信じているので(お気楽?)一度見たもの、見たという認識が無くてもそこで無意識のうちに「感覚」したものは、全部無意識下で保存されていると思っている。なので、「どう覚えるか」よりも「どう思い出すか」なんじゃないかなと思ったりしていた。

この本は、たまたま文庫を買ってみたのだが、興味深いことがいくつか書いてあった。
『記憶力は遺伝より環境できまる。人は環境に適した行動をとる』んだそうである。これは、超エリートばかりいる学校に、凡人を編入させたらどうなるか、ということだ。この結果なのだが、エリートの中にいると、勿論超エリートには及ばないが、凡人もそれなりに成績が上がるんだそうである。エリート校とか、より抜で教育するとか、こういうメリットががあるわけだ。

操体のプロフェッショナルになりたかったら、操体法東京研究会の定例講習へどうぞ。志の高い方ばかり集まるので、切磋琢磨しながら学べる。また、自分のレベルよりも高い目標を持って学ぶことが大切だと思う。自分よりもレベルが高い人と学ぶのは、恥をかくことでもある。しかしそれは『知らないから恥をかく』のであって、知れば恥ではなくなるのだ。というわけで、操体法東京研究会の講習を受けた先輩諸氏の声(最新版)をどうぞ。

それからもう一つ『何事もマスターしたかったらまず一つをものにする』がポイントらしい。私は最初、ボディワークを学んだ際、色々なプログラムに接した。バランス整体(私はこれは嫌いだった)、SOT、頭蓋仙骨、関節モビリゼーション、カイロプラクティック、テーピング、AKAその他諸々と、触診とモーション・パルぺーションなどである。色々試しにやってみたのだ。それはそれで勉強になったが、同時期に『操体法治療室』を読んでいて、やっぱり操体を専門にやろう、三浦先生に連絡しようかな、と思っていた矢先に、その学校で小林完治先生による、操体法の特別講習があったのである。この講習は、通常の学校の授業外のもので、確か毎月1回、日曜日朝から晩まで半年位だったと思う。この講習に参加してから、私は操体を専門にやっていこうと決めたのだ。私のようにこうしてターゲットが決まれば非常にラッキーなのだ。
私はその講習が終わってからも、小林先生のところに行ったり、招いたりして、勉強を続け、4年目に操体専門で開業したのである。その間、勿論クライアントを診ながら二足あるいは三足のわらじを履いていたが、とにかく面白かったので研究や勉強を続けていた。
しかし、実際のところ、私が『スコン!』と抜けたのは、2002年のことだと思う。操体の勉強をはじめて8年目、開業して4年目だ。それまでやっていた『快方向に動かして、瞬間脱力』という、『楽と快の区別が曖昧なもの』(第2分析もどき?)から、『快適感覚をききわけ、味わう』という真の第2分析に移行したのと、丁度連動の研究をしていた師匠を手伝って『連動が存在するわけ』を知ったからなのと、皮膚へのアプローチ(第3分析)を目の当たりにしたからだ。その当時は勿論恥もたくさんかいたし、汗もかいた。
今、操体をマスターしたとは思っていないし、まだ半分くらいかなと思うが、10,000時間は費やしたので、ちょっとはわかってきたかな、鉱脈クラブ仲間入り?という感じだ。


というわけで『何事もマスターしたかったらまず一つをものにする』も何となく分かってきたのである。
これは脳の働きで言えば『記憶の転移が働くのではやく上達する』ということらしい。転移というか、覚え方、理解のしかたのパターンが転移するのだと思う。これは物事の暗記だけではなく、動きとか振る舞いも含まれるのではと思う。

逆に、一度に数種類のことをマスターしようとすると『記憶の干渉がおこり、どちらも上達しなくなる』らしい。例にのっていたが、スペイン語とイタリア語を一緒に勉強するようなことを言うらしい。どちらも似たような言語なので、一緒に覚えるほうが労力が少なく見えるが、
双方の記憶が互いに干渉しあうので、かえって上達を妨げるのだそうだ。まあこれは極端な例だと思うが、
私が考えるに、これから開業しようとして、全くの素人が整体と操体を同時に一習うとか、そんな感じかもしれない。整体と操体は、似ていると思う人は思うかもしれないが、根本的に違う。この二つを一緒に学ぶと、結果は一緒だが、その過程が全く違うので、同時に学ぶのは非効率というわけだ。