操体関連のサイトで、『想』に関して『明るく大らかに生きましょう』と書いている方ほど、実際は明るく大らかじゃないのは何故だろうといつも思う(汗)。
私は基本的に『自分は悟った』と、自分で言う輩を余り信じないが何だかそれに似ている。
以前『秩父の山で悟った』という在家の坊さんに『女に操体はできない』とか『せいぜいホテルでマッサージするのが関の山だ』と言われたことがある。
本人は言ったことを忘れているかもしれないが、私は絶対忘れない(笑)。悟ったヤツが『女に操体はできない』というのだろうか(笑)。私はこの辺から『悟ったというヤツはあまり信用しない』のだ。あと、思い出したがこの坊さんがいつも言っているのが『大らかに』だった。
大らかなヒトが『女に操体はできない』というのか(笑)。
操体の『想』については色々考える事があるが、
講習でも『明るく大らかに生きられないからみんな悩むんですよね』と言うと皆頷く。『想』は『言葉を統制する』と考えるとうまく行く。
それからある本を読んでいて「なるほど」と思ったのは
喜びすぎない
落ち込みすぎない
自分の不幸や失敗は人に話す
幸せなことは自慢しない
ということ。
喜んではしゃぐ人は落ち込みやすいのは事実だ。喜ぶ(はしゃぐ)のと落ち込むのはどうも対になっているようだ。
喜んではしゃぐ、じゃないが、彼女ができたての頃『彼女とに2回お泊まりで旅行に行きました』と、年賀状に書いてきた人がいた。何も自分のラブ・ライフを『2回泊まりに行った』とか具体的に書くことないのになあ、と思ったことがある。というか、『2回お泊まりで彼女と旅行に行きました』とか年賀状に書くような輩は、女子の目からすると『もしかしたらこの人は自分の性生活を男友達に逐一報告しているのではないか』という心配をさせるではないか。
★実際は、女子同志のほうが生々しいと思います(汗)
3月には結納したいですと書いてあったので4月頃おめでとうメールを送ったら、「その話はなくなりました」と返事が返ってきたという次第。
少し前に、結婚詐欺師の女に殺された40代の男性がいた。その人はブログに『明日彼女と婚前旅行に行きます』と書いてあったそうだが、幸せ自慢というか、喜びすぎというか、結果として殺されてしまったのだから気の毒ではあるが、恋愛、結婚、出産などのハッピーな出来事はやはり内々でいいのではと思う。
特に恋愛、結婚、出産などは、したくても事情でできないとか、欲しくても授からないとか、そういうヒトもいることを忘れないほうがいいのだ。