操体法大辞典

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本質をつかむ思考法

本質って何だろう

本質をつかむ思考法

本質をつかむ思考法

[1] 物事の本来の性質や姿。それなしにはその物が存在し得ない性質・要素。[2] 〔専門〕 哲
〔補説〕 (ラテン) essentia; (ドイツ) Wesen
(ア) 伝統的には、存在者の何であるかを規定するもの。事物にたまたま付帯する性格に対して、事物の存在にかかわるもの。また、事物が現に実在するということに対して、事物の何であるかということ。
(イ) ヘーゲルでは、存在から概念に至る弁証法的発展の中間段階。
(ウ) 現象学では、本質直観によってとらえられる事象の形相。
大辞林

本質をつかむ思考法というのは、物事の本来の姿を見極めるための思考法を言うのだと思う。皆、本質をつかみたいのだが、なかなかつかめずに困っているか、あるいは簡単につかみたいと思っているという2つに分けられるのではないか?操体の本質もそうだが、皆つかみたくてもなかなかつかめず困っているか、あるいは簡単にラクしてつかみたい(体得したい)と思っているのでは?

著者は前書きで幾つかの言葉を揚げている。『思考停止が危険な状態を招く』最近、著者は日本人の考える能力が低下しているのではないかという危惧を抱いている。その例として挙げられているのが、大学の選び方だ。偏差値がいいから、有名だからと選ぶと、せっかく入っても学校になじめず4年をムダにしたりする。大学に限らず似たような話は多い。

『自分の頭で考え続けるのは辛いこと』自分の頭で考え続けるのは大変なことだ。自分で考えなかったツケは後から返ってくる。色々な人が書いていることだが、どうもこれは日本の学校の教育にあるようだ。テストでは正解を探せばいい。我々は正解を探す勉強をしてきたからだ。日本人は正解のない状況の解決策を考えることが非常に苦手らしい。
『勉強の問いと社会の問いは違う』これに気づかないと本質には近づけないのだ。
「正解を求めるクセ」をやめることが、本質をつかむ秘訣なのだ。世の中の多くの問いに答えは存在しない。

東京操体フォーラムでは、フォーラム後にアンケートをとっている。もちろん次回の運営に役立てるためなのだが、この本には興味深いことが書いてあった。

「目に見えない声」に注目する。読者ハガキの感想は何を示しているか、ということだ。

単行本には多くの場合、読者カードというものが入っているしかし、そこに書かれている「こんな本を作ってください」という読者の要望をそのまま受け入れても売れる本ができない可能性が高いそうだ。フォーラムにしても様々な要望があるが、それを全部次回に活かすことはできない。何故なら「要望」を集めただけだからである。同じ料理を食べても「濃い(からもっと薄いほうがいい)」という場合と「薄い(もっと濃いほうがいい」と意見が分かれたりするが、その双方の意見を聞いて料理人が悩んでも仕方無いのである。

また、読者カードを返送するのは読者の中でもかなりコアな場合が多い。彼らの関心と一般の人達の関心が必ずしも一致しない場合があるからだ。アンケートハガキがあるからといって、企画を考えようと思った時、読者カードに書いてあることばかりにフォーカスしては危険である。読者カードを送ってこない読者の方々のニーズにも目を向ける必要がある。目に見えない「大きな声」に着目することで、本当の声がみえてくる
『第三者の視点で見れば、物事の別の視点が見えてくる』

アンケートで思い出したが、中谷彰宏氏の本に書いてあったことがある(相変わらず「モバイル中谷塾」は読んでます)。中谷氏が昔海外のコマーシャルをそのまま翻訳して、モニターテストをした時の話である。そのコマーシャルはシャンプーのコマーシャルで、男女が裸でお互いの髪の毛を洗っているというものだったらしい。面白いことに、グループインタビューだと、参加者は「いやらしい」という意見が多かったそうだ。しかし、個別のインタビューだと「ロマンチックでいいと思う」という意見が殆どだったそうだ。

本質をつかむには、やはり『一度は疑ってみる』ことも大事なのだろう。疑ってばかりでもよくない気がするが。そうするとやはり『原始感覚』を磨くことが大事なのだろう。