操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

仙台に行ってきました。

10月29日の午後一時ちょっと前、我々一行(師匠、王子、画伯、監督、私)それぞれ好みの駅弁を買って東京駅から新幹線「はやて」で仙台に向かった。「はやて」は速いので、1時間40分もすると仙台に着いてしまう。駅弁を食べて雑談しているとあっと言う間に仙台に到着した。
その後、あらかじめ予約しておいたジャンボタクシーに乗って、仙台郊外の葛岡霊園へ向かう。仙台に行ったら絶対のお約束。

橋本敬三先生に会いに行くのである。
ここは広大な公園墓地で、とてもキレイなところだ。景色がよくて緑あふれている。しかし、行くのだったら、知っている人と一緒に行ったほうがいい。間違いなく迷うし、徒歩で行こうなんてことは考えないほうがいい。

操体を学んでいるのだったら、やはり一度はこちらにお参りすべきだと思う。行くということに意義があるのだ。到着するまでの行程、実際に見て、触れて

山本監督撮影。29日はいい天気でお墓参りにはもってこいだ。

ここでウワサの(?)丸い墓石を見て、裏側に刻まれている例のナゾの文様を見て「やっぱり何度見ても面白い」と感じる。

その後は一路仙台駅前のホテルに戻って、市場をぶらぶらする。今年は台風の影響で、景気が悪いそうだ。その後、仙台駅ビルの「すし通り」にある、あさひ鮨に向かう。

本店が気仙沼(私の両親は気仙沼なのだ)ということもあり、こちらには仙台に行くと必ず伺う。私は気仙沼ソウルフード「あざら」をつまみ、どんこの肝たたきとか好きなモノを満喫。この日は殻付きの岩牡蠣もいただいた。

10月30日(土)、朝食をあっという間に済ませ、全国大会会場へタクシーで向かう。仙台駅から地下鉄ですぐの河原町という駅の側の、仙台市医師会館が会場だ。もうここで三回か四回やっているのではないだろうか。
受付を済ませ、私達は午前中仙台市内を見物することにしていた。仙台が初めての山本監督のためと、私自身は瑞鳳殿にお参りするためである。9月にマドリッドに行って「操体の歴史」というプレゼンをした際、瑞鳳殿の写真を使わせていただいたし、慶長遣欧使節団の話、伊達男政宗公の紹介もさせていただいた。まあ、何よりもうちの屋号の「TEI-ZAN」というのが、貞山公という伊達政宗公の諡号(高位の人の戒名)を頂いている位なので、私は仙台に行ったら瑞鳳殿には行くのである。
瑞鳳殿へ向かう階段はいつも1段1段踏みしめて歩く。


先ずは殿にいつもありがとうございますとお礼をのべ、無事イスパニアに行って帰ってきた旨を告げた。私の隣では師匠が割と長い時間手を合わせていた。雨に濡れた瑞鳳殿もまた艶があっていいものだ。
その後、仙台観光バス、「るーぷる」に乗って仙台市博物館へ。ここは今年の4月に展示方法をがらっと変えた。以前は白がメインで、インパクトに欠けていたが、最近の歴史系博物館の流行もあってか、黒と赤を基調にした、伊達らしい?内装になっている。また、この日は年に2回しか展示されない、政宗公の「黒漆五枚胴具足」も展示してあり、私と福田画伯(共に歴史マニア)はその美しい艶に溜息をつくのであった。その後、岡村王子と福田画伯が弦月の兜を被ってみたり(レプリカをかぶれるコーナーがある)、土産に紫色の有名な陣羽織のファイルを買ったり、政宗一筆箋を買ったりである。
師匠、流石に飽きたのか、そろそろ会場に戻ると言い出したので、タクシーで仙台市医師会館へ戻ると、丁度傷口を消毒しない「新しい創傷治療」夏井睦先生の講演だった。ガーゼと消毒薬の撲滅を訴えている先生で、やはり現代医学では異端(しかし効果があるので、確実に実践者は増えていると思われる)なのだろうが、興味深い講演だった。


午後のシンポジウムは「橋本敬三の心を考える」。今までと違って「想」の部分を出していた。座長は加藤平八郎氏である。驚いたのは、温古堂の近くの仙台基督教会からいらした神父様の話で、キリスト教には「救い」がない、ということだった。橋本先生は「救いは絶対、報いは相対」と言われているが、キリスト教には救いではなく、原罪があるのだ。先月行ってきたトレドの大聖堂を思い出した。
橋本敬三の心」(農文協のDVD)にも出ている(外科医で、水玉模様の大きな襟のシャツが印象的)伊藤宏一先生(伊藤外科医院)の話で印象に残ったのは、どうも伊藤先生は「瞬間急速脱力した後の操快感」を「きもちよさ」と認識されているのではということだ。操体は軽度の腰痛には効くが、という話もあった。効くときは効くし、効かない時は効かない。しかし効いた時は魔法のようだ、ということらしい。これは、第1分析の特徴だな、と思いながら聞いていた。コツを知っていて、やり方が分かっている人がやればそうなる。実は第1分析は一番テクニック(技術)を要するものなのだ。やり方とコツというのが、「身体運動の法則」なのである。

その後、要旨集をめくっていたら明日の発表のレジュメで
「草創期の創世記の操体法操法は、高橋迪雄氏の「気持ちのいい方へ動くと治る」という”正体術矯正法”に頼るところが多かった。ゆえに操体法草創期の「動」は操体法オリジナルではない」というところがあった。この文章のどこがおかしいかお分かりだろうか。
正体術は「気持ちいい方へ動くと治る」とは言っていない。正体術は、楽な方へ動くと治る、と言っているのである。この一節を読むと、やはり「楽と快の違い」を本当に理解されているのだろうかと思う。

途中、両手を挙上して背を伸ばし、バサッと脱力する、というのを指導された先生がおられた。両手を挙げてバサッ、というのはわかるが、片手ずつの挙上で
「きもちよく挙げて〜」と声をかけていたが、痛いとか、気持ちよく挙げられない人はどうするのかと考えた。やはり「楽と快の違い」を理解されているのだろうかと少し気になる。
「どちらが挙げやすいほうを挙げて下さい」(第1分析風)か、「左右どちらでも構いませんから、ゆっくり腕を天井に伸ばしながら、よく感覚を聞き分けて、きもちよさが聞き分けられたら、そのきもちよさを十分味わって」(第2分析風)に持っていくというのもあるのになあ、と思った。操体以外、例えばヨガやストレッチだったら、「きもちよく伸ばして〜」でも構わないのだが、操体には「診断(動診)」と「操法(治療)」というステップが必要不可欠である。きもちよく伸ばすのは、診断をすっ飛ばしていきなり治療をやるのと同じだ。
ストレッチや体操の先生だったら、「きもちよく伸ばして〜」という指導は認めるが、操体の指導者だったら、「動診」と「操法」の区別はつけて欲しいなあ、と思った。

シンポジウムは加藤氏の名座長ぶりで無事終了した。その後懇親会があるとの事だったが、私達一行は、今先生と約束があったので、仙台駅に向かった。10月30日は今先生の誕生日でもあったが、二日目のあさひ鮨である。あん肝、白子と好物をいただき、後は握りをいくつか。

ぼたんえび。この後、海老のミソで軍艦を握ってもらった。

次の日は朝8時15分の新幹線に乗って、9時50分には東京に着いた。それから一行で三茶に向かい、午後の「塾・操体」に臨んだのであった。