操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

連動と操体

 連動、という言葉は、橋本先生の本にも余り詳しく出てこない。


・局所が動けば全身形態が連動する
・足の親指を押さえてもらい、親指を動かすと、全身が動くのがわかる
位である。


ちなみに、2002年頃、師匠は連動を研究しながら連動の本を書いていた。全身形態は連動する、ということは分かっているのだが、例えば手首前腕だったら、背屈、掌屈、外旋、内旋、橈屈、尺屈、押し込み、引き込みの8つについて、それぞれ全身形態がどのように連動するのか、というのは誰も検証していなかったのである。


息食動想の4つの営みのバランスが崩れると、ボディが歪み、それが異常感覚、器質異常、器質破壊と進んで病気になる。そのバランスを、辛い方から楽な方に動かして、瞬間急速脱力させて、元にもどし、ボディの歪みを正す、というのが正体術から続く、操体の源流である(第1分析)。その後、瞬間急速脱力でなくとも、きもちよさをききわけ、味わうことによってボディの歪みが正されることが分かってきた(第2分析)。


橋本敬三先生は、現役を引退された85歳以降「きもちのよさで良くなる」と言い切られた。
(注意すべきは「きもちよさを探せ」とか「どちらが気持ちいいか、比較対照せよ」とは言われていない」


操体は臨床であるから、診断と治療(操法)は必須である。第1分析には、動診、操法、たわめの間、脱力、繰り返し、再動診と、ちゃんと「診断(動診)」と「治療(操法)」が存在する。


きもちよさをききわける第2分析にも当然「診断」と「治療(操法)」というステップが必要なわけで、「きもちよく動く」前に「診断(動診)」が必要なのである。
私が常々書いているのは、いきなり「きもちよく動いて」というのは、「診断」に欠けており、「きもちよさを探して」というのは、
見当違いだと言っているのだ。
何故、橋本先生が「きもちのよさをききわければいい」と言われたのか、それをもう一度考えてほしい。


実際、操体法東京研究会の定例講習において、私がみたところ、受講生でも「きもちよさを探して」と「きもちよさをききわけて」の違いが分かっていない受講生がいた。


彼女たちに欠けていたのは、動診というのは、「ある動きを試してみて、きもちよさの有無をききわける」という認識だったように思う。まあ、当時はまだ連動理論が確立されていない時だったのでそれは仕方ないかもしれない。


介助を与えられても、末端を固定されて腰からくねくね動いてみたり、今考えるとあれは「きもちよさを探している」のだったのではないかと思う。何というか、
「左手の外旋と共に左の肘が曲がってきて、正中に向かい、左肩が下がって右の体側が伸び・・・」という感じではなく、何だか「舞踏系」みたいな動きだった。また、実際からだが勝手に動いてしまう人もいた。


当時は多くの操体関係者は「連動は個人個人違う」と思っていた時代なのである。何故、一人一人連動が違うかと言えば、個々人のボディの歪み具合によって違ってくるからだ。
バランスがとれている自然体ならば、からだの設計図に従って、自然な連動が起こる。これがまだ一般的ではなかったのだ。


また、「正しい連動」「まちがった連動」ではなく、「(歪みのないボディの)自然な連動」「(歪みの存在するボディの)不自然な連動」というべきである。間違っているのではなく、ボディが歪んでいるから不自然なのだ。ボディの歪みが解消されれば、自然な連動に戻ることは分かっている。