操体法大辞典

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「気の幸福力」気心道とタオ指圧

マドリードの小野田茂先生からご紹介していただいた電子書籍

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指圧師にしてミュージシャンにして僧侶にして平和運動家である遠藤喨及(えんどう りょうきゅう)先生の著。
私はそんなに指圧の世界に詳しいわけではないが、結局は操体も「気」というか、波動の世界になってくるのかなと思う。名人達人は、多分触れずとも(押さずとも)患者を癒すのだろう。

ここでちょっと一文を引用してみよう。先日から私は、他者からうける「妄想」(妄想というのが言い過ぎならば、過度な想像と言っても良い)に、悩まされてといったら大袈裟だが、疲れてしまっていた。なぜ、疲れるのか、なぜ、無意識のうちに何だかいやな感じをうけるのか。何となく分かった。橋本先生は、この世で一番苦しいのは『妄想苦」(もうぞうく)だと言われているが、妄想するほうも苦しいが、そのエネルギーを受けるほうも大変なのだ。

利他はテクニックでなく、パーソナリティ

繰り返しになりますが、自分のための想像と、相手に対する気遣いや相手の喜びのためにする想像とでは、同じ?想像?でも、意味や質がまったく異なるのです。自分のための想像は、何か自分に欲しいものがあってのことです。しょせん長続きしません。それに、自分のための想像では、関心が自分に向いているので、相手の気持ちはわかりません。したがって、気を認識することもありません。

動機が自分のためであれば、相手の気持や体感を想像することに対して、すぐに興味を失い、いつの間にかやめてしまいます。それに、単なる相手への好奇心からする想像では、相手の無意識は、何かイヤな感じを受けるのです。
ここでちょっと、?想像?してみて下さい。たとえば誰かに、あなたの気持ちを、
(1)単なるあなたに対する好奇心で、想像されているとしたら…。
(2)気を認識できるようになりたくて、想像されているとしたら…。
(3)あなたの気を引きたいから、想像されているとしたら…。
(4)あなたを評価しようとして、想像されているとしたら…。
果たしてあなたは、どう感じるでしょうか?
たとえば、誰かに好かれたくて、人の気持を想像しているとします。それは裏を返せば、好かれる必要のない相手の気持は、想像しないということにつながります。好かれようとする相手に対してだけ、いくら共感的な想像の心を集中させても、?人の喜びのため?という、利他的な習慣は生まれません。人の喜びのために行う利他的な想像は、幸福力の源泉です

この本は「気」の本というよりも「心の扱い方」の本として読むといいと思う。
どこか静かな寺院にでも行って、心を静めてきたくなってきた。