操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「陽の時代から陰の時代への転換期 進化する操体」日本統合医療学会北海道支部会

 10月22日、日本統合医療学会北海道支部支部会に招かれて「操体」に関する講義をしてきた。テーマはタイトルにあるとおり、「陽の時代から陰の時代への転換期 進化する操体」。
ここ半年くらい書いているが、世の中が「陽(男性原理的)の時代」から本格的に「陰(女性原理的)の時代」に転換している。

私は常々「第1分析」というのは、一気に上昇して一気に迎え、一気に過ぎ去っていく男性的なクライマックスみたいなものではないかと思っている。「陽物」というくらいだから、やはり「男性」的なのだろう。

それに比べて第2分析は、ゆっくり上昇し、ゆっくり達し、ゆっくり余韻が残る女性的なクライマックスっぽいなと思う。こちらは「女陰」というくらいだから、やはり「女性」的なのである。

まあ、どちらが優れていてどちらが劣っているというわけではないが、陽の時代と陰の時代はほぼ700年毎に入れ替わり、今回「陽」の時代、言い方を変えれば「武士の時代」が終わったのがおおよそ1945 年らしい。

その前は平安時代、つまり貴族の世界だった。この時代は長らく戦争がなかった。貴族文化が栄えた時代は、殿方が夜這いや恋の駆け引きに忙しく、戦争するヒマがなかったのである(この話で会場が大爆笑となった)。

いずれにせよ、あと600年は「陰」の時代がつづく。医療、治療も時代に沿ったものが必要になってくる。
操体が「楽」から「快」にシフトチェンジしたのは、丁度1980年代中頃である。偶然ではないと思うが、遠藤喨及先生も、1985年頃から患者のからだに変化があったと著書に書かれている。「実」(おこっている、腫れているなど)から「虚」(元気がなく、皮膚の奥のほうにしこりを生ずる)が目立つようになってきたのだ。

時代が本格的に「陰」になってくれば「草食系男子」や「弁当男子(これはちょっと違うか)が出てくるのも当然なのである。

そうやって考えると、バブル期のギラギラした男性達は「陽」の時代の最後を飾ったのかもしれない。

というわけで、抄録をご紹介。

陽の時代から陰の時代への転換期  進化する操体

東京操体フォーラム  理事長 三浦寛 常任理事 畠山裕美

操体法には五つの特徴がある。
1.人体の構造を動かして診る、動診法を導入し、動きの感覚を重視している。
2.治すことまで関与せず、からだの自然治癒力を引き出している。
3.その為に他力的な刺激や、暴力的な力を与えず、快感度を伴う本人の自力の動きによって症状疾患の改善を図る。
4.運動系の歪みに着目し、症状疾患にとらわれない臨床を行っている。
5.常に生体のバランス制御を考えている。からだにとって、最少エネルギーで最大の効果をもたらすかである。それが、からだが要求し、選択してくる「快適感覚」である。その快に従うということが、生体のバランス制御に繋がり、命の意志に従っているということである。その選択は、からだにとって正しい方向性なのである。
何故ボディが歪むのか。それは、環境を含む息食動想の四つの営み(自己最小限責任生活必須条件)の生命力学のバランスが関与しているからである。
昭和初期、操体の創始者、橋本敬三医師(1897年−1993年)は、正體術という骨格矯正法に出会った。これは体を楽な動きの可動極限にまで操り、瞬間急速脱力をもって骨格系の歪みを正すものであった。時を経て、橋本敬三医師独自の哲学が加わり、操体が誕生した。そして、橋本医師が85歳を迎えた時、「楽」への問いかけから「快」への診断と操法への移行が打ち出され、4年の歳月を経て弟子の一人によって体系化された。これを第2分析としている。この分析法は、一つ一つの動きに「快」をききわけていく動診と操法である。
しかし残念ながら一般はもとより、未だ多くの臨床家が快を認識しておらず、楽と快の混同、混乱が起きている状態にある。本日は前半を畠山による操体概論とし、後半を橋本敬三医師の直弟子であり、第2分析を体系化、確立させた三浦による実技とする。