私の父が亡くなったのは58歳の時だった。今考えると、まだやりたいこともあっただろうしなあ、と思うのだが、本人が10年続けた透析に疲れてしまったのかもしれない。
生前から「俺に延命治療はしてくれるな」と言っていたが、夕食を食べていて心臓発作を起こし、たまたま残業していて遅くなった私の家の留守電(まだ携帯はそんなに普及してなかったからね)に「お父さん、死んじゃった」という母親の声が入っていて、あわてて墨東病院までタクシーを飛ばした。いやあ、あっけないなというのが実感だった。私の父は娘が言うのも何だが、いいオトコだったのので、口を半開きにして霊安室に寝ている姿には「ああああ」と思ったが、長患いもせず、当日会社に行って親しい人たちに挨拶をしてから逝ったのは「さすが」だと思った。
ちなみに、畠山親子は湯灌に10万円払い、何だか知らないけど、父が浄められ、死化粧され、シャネルの口紅を塗られる父を見ていたのだった。アホと言えばアホだが、お父さんカッコいいからまあな、という感じである。死化粧した父は「役者みたいね」と皆が言った。その辺りは覚悟ができているんである。そういえば、TBSに勤めていた父は、近所の「昼間美味しいスゴく辛いカレーが出る店」に通っていたら「実は夜はゲイバー」とか「松原留美子って知ってるか?可愛いんだよ」(お父さん、ニューハーフだよ)みたいな面白いオヤジでもあった。何だかゲイの方にモテるオヤジだったような気がする。
畠山親子はアホの限りを尽くし霊柩車(外車)まで奮発してしまった(笑)。ああ、そういえば骨壺も奮発しちゃったっけ。
今、私が長年連れ添った猫の具合が悪いのです。朝病院に連れて行って、夜連れて帰ってきて、看病しているというサイクル が続いています。小康状態を保っている状態です。