操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「間に合っていればいい」と「向上心」。

操体の世界で「間に合ってればいい」というのがあります。
受け取り方は人それぞれのようです。

最初に聞いた時は「そっか、間に合ってればいいんだ(欲張らなければいいんだ)」と思っていました。

あるとき、それをくつがえす出来事がありました。
仙台の某先生の講習に参加していた、確か介護施設で働いている方でしたが
「自分はプロじゃないから、操体の腕は間に合ってればいい」
と言ったのです。これは私にとって結構ショッキングな出来事でした。

これは「プロじゃないから、結果を出さなくても責任はとらない」ということでもあります。

「間に合ってればいい」というのは、患者様の健康傾斜のバランスです。
健康の度合いが40%だったら60%まで引き上げるお手伝いをするのが、
私達の仕事です。

勿論、私達臨床家も完璧ではありませんが「間に合っているような腕」で、
患者様やクライアントを診るわけにはいきません。

患者様、クライアントの健康状態が間に合っていればいいのですが、
プロの腕が「間に合ってればいい」というわけには行かないのです。

「間に合ってない」と、他人に迷惑をかけることがあります。

その辺を、なんだか都合のいい解釈をしてるんじゃないかと思うことがあります

例えば、外科医が「僕の手術の腕?間に合ってればいいからそんなもんだよ」
と言ったら手術受ける際、不安になりませんか(笑)。
私はイヤです(笑)。プロには十分なスキルが必要です。

 

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「中谷本」からですが、「向上心をなくすことは、間に合っていればいいということではない」と、言い換えることもできるのではないでしょうか。

向上心をなくすことは、足るを知るということではない

「向上心」と「足るを知る」とは、相反するような感じがします。

でも、向上心は、満足しながらもさらに上へと考えられることです。

「満足しなさい」イコール「向上心をもってはいけない」のではないのです。

「自分は足ると思っているので、これでいいんです」と言う人は、ただ向上心がないだけです。

本当の向上心は、満足しながらも、もっと上へと思えるのです。

「自分はもうこれでいいと思っています」とか「欲をださないようにと思っています」と言うのは、向上心に対しての努力を怠(おこた)っているのです。

「足るを知る」という表現の間違った解釈です。

向上心がなくなっている人はたくさんいます。

それを「欲張らない」とか「足るを知る」という大義名分で自己肯定しているのです。

今が不満だから向上心を持つのではありません。

今の状態に満足して、感謝して、ハッピーだけれども、さらに上を目指すのです。

今不満だから向上したいというのは、本当の向上心ではなく、ただのプアです。

向上心はハングリーです。

満足しながらも、さらに上へと考えることがハングリーです。

それがハングリーとプアの違いです。

豊かになったからハングリー精神がなくなったというのは間違いです。

豊かになれば、確かにプアはなくなります。

でも、豊かになればなるほど、人間はハングリー精神が生まれてくるのです。

上に行けば行くほど、戦いと修行があります。

豊かになったからハングリー精神がなくなったと考える人は、上に行ったら戦えないと思い込んでいます。

それは上に行っていない人の発想です。

上に行けば行くほど、より激しい戦いがあるのです。

勉強すればするほど、勉強しなければならないことが増えてきます。

ある程度のところまで勉強したら、もうそれ以上勉強しなくてもいいという発想の人は、実は勉強していないし、プアな発想で向上心のなくなる人です。

習い事でも、どこまで行ったらOKということはありえないのです。

★知性を身につけるために42 足るを知ってなおかつ向上心を持とう