私はせいぜいご飯に麦を入れるくらいだが、圧力鍋を愛用しているので、玄米を炊いてみたことがある。悪くはない。でもせいぜい胚芽米どまりにしている。消化が余り良くないからだ。
橋本敬三先生は玄米を炊いて食べていらっしゃったそうだが、師匠によると、小豆とかじゃことか雑穀とかいろいろ入っていたらしい。
むかしむかし、W大学で開催されていた操体の勉強会に参加した時、そこを仕切っているようなおばちゃんがやってきた。彼女は
「あんた、操体はじめてなんでしょ」← 既に開業して本も出していた(汗)。
「だったらI先生に操体やってもらうといいわ」
「あのね、操体は橋本先生が食べてたから玄米食べなきゃいけないのよ」
と、おばちゃんは言い、近くにいたI先生に「そうよね」と同意を求めた。
I先生は「からだに合わない人もいるから、一概には言えないね」と答えたが、おばちゃんは「玄米よ」と主張を続けた。
また、イギリス在住の日本の方で、操体の勉強に日本に来ていたことがあった。厳格なマクロビオティックの実践者で、一日に玄米のおにぎり一個しか食べない。
また、折角日本に帰ってきたのだから、一度や二度くらいお寿司とかどうなの?と師匠が聞いても絶対受け入れない。私からすると、一度戒律を破るともう二度と戻れないような、白黒しかない切羽詰まった感じを受けた。話を聞いていると、普通の社会では、その方の実践するような生活はとうていできない。聞いてみると。厳格なマクロビ実践者ばかりが住んでいるコロニーのようなところがあり、そこに住んでいるのだと聞いた。
ちなみに、私が愛する英国のバンド、Def Leppard(KISSの次にファン歴長し)は五人メンバーで、三人はベジタリアンである。来日時、コーベ・ビーフをご馳走になる機会があったらしいが、ベジタリアンのメンバー三人は「今日だけはベジタリアンをやめる」と、コーベ・ビーフを堪能したらしい。私はこういうほうが好きだ。
また、経験から言うと、初級者に限って「肉は絶対ダメです」とか言う。
飲み会とかで「自分はベジタリアンだから、そういうお店じゃないとイヤだ」というのもいる。今の私だったら「それなら来るな」と言うだろう。
上級者は、普通の居酒屋に行っても、何気にレタスを食べていたり、上手に避けながら他の人との話 を盛り上げたり、自分が肉は基本的に食べないことを、あまり悟られないようにしている。
また、自宅では玄米菜食だが、外に出た時はお肉も魚も美味しくいただくという人もいる。
イギリスの方のように、厳格なマクロビ実践者が住んでいるコロニーに住んでいるならともかく、また、他者とは関わらない生活を送っているのだったらいいかもしれないが、生活習慣が違う人達とおつきあいする場合、大人の対応も必要なのかも。勿論これは日本独自の考え方なのかもしれない。今、ラーメン屋の様子をテレビでやっていたが、イスラム教徒向けに、チャーシューの代わりに油揚げを使っていた。
お酒も色々考えることがある。
例えば社会人になったり、何かの会合に出たりすると、大抵はビールで乾杯するのがならわしだ。
私の周囲には余り飲まない殿方が多いが、皆大人なので「最初はBeer」でいく。
うちの師匠は殆ど飲まないが、乾杯はビールでやる。その後私にグラスを渡す。
要は、飲まなくても最初の乾杯くらいは「ふり」をするのが大人ってもんだと思う。
また、私の周囲の「あまり飲めない殿方」は、飲まなくてもテンションを合わせてくれるので、楽しいのである。うちの岡村皇子とか、秋穂将軍とか、一番は師匠だと思うが、ソフトドリンクでも酔えるというそのスタンスは必要だと思う。
そこで「自分は飲みません」と、頑なに主張するのは大人ではない。そこには「飲んでる人」を見下すような目線がある。
女子なんかでも「私絶対飲めません」とか頑ななのがいるが、これは女子からみても可愛くない。
「そんなら来るなよ」と思われるのと、
最初はビールで乾杯して飲むフリして、後はソフトドリンクでも飲んで「この酔っ払いオヤジたちめ〜」と思っているほうが余程カワイイ。
「飲みたくない」あるいは「飲まない主義」それが大事だったら、最初から来なければいいのだ。
あ、すいません。完全に飲むヤツの論理になってます??(笑)
そう、飲まずに飲む人と楽しくテンションを合わせて楽しい時間を過ごせないのだったら、その方がお互いハッピーだと思う。
臨床家の立場で考えるとクライアントの中には飲酒する人もいるし、喫煙する人もいる。そういう問題を抱えている人に対して、それを上から目線で見るというのは、臨床家としては失格だ。実際は問題がある方のほうが多い。
ちなみに、ある操体の指導者は「橋本先生は、患者の中に煙草を吸う人がいたので、吸う振りをしていただけだ」と言った人がいた。
彼は嫌煙主義者なのである。なので、橋本先生が「わかば」とか「Peace」を吸っていらっしゃったことは知っているのだが、自分が嫌煙派なので、敬三先生が愛煙家だったということを認めたくないため「吸ったフリをしている」と言っていた。
「ねつ造にも程があるよな」と思った。
結局「縛られている」のだ。