仙台の温古堂には、医者から見放された患者がやってきた。
橋本敬三医師は「ここは病気の墓場だ」とおっしゃった。
先日大阪に行った話は書いた。
その時、大阪エリアでは、操体は「自分でできる健康体操・養生法」「自分でできるから安くて簡単」ということがよく分かった。
これが悪いとは言っていないのだが、この認識をしている人が多いため、未だに操体は、本来医師が臨床で使っており、橋本敬三先生のもとには、医者から見放された患者が集まったということは、余り知られていないように思う。
操体実践者の中には、健康体操・養生法として生活に活かす派の方々がおり、関西では操体道普及友の会(故中川重雄先生)の活動範囲が広い。一般の方に操体を広めるということで、広まっているのである。
橋本先生は、ファンとか患者さんとか愛好家には「操体は簡単だ」とおっしゃった。
操体は簡単だから生活に活かそうという考え方だ。
私達は、操体は医師が行っていた臨床という認識である。というのは、橋本敬三先生の、臨床家としての流れを受け継ぐ直系の弟子、三浦寛先生の弟子だからである。
橋本敬三先生は、弟子には、操体について「よくもこんな難しいことに足を突っ込んだな。でも操体は面白いぞ。一生楽しめるからな」とおっしゃった。
橋本敬三先生ご自身が「患者やファン」と「弟子(臨床家)」には、違う伝え方をしていたのである。
ここから、健康体操養生法派の方達は、いわば「自分でできるラジオ体操みたいなもんにお金を払うのは勿体ない」と思うらしい。
私達臨床家は、例えば鍼灸や柔道整復なスポーツトレーナーなどの専門的な勉強をしてから、さらに操体臨床の操体の勉強をする。操体専門のプロになるのだったら、やはり3年以上の修業が必要だ。つまり、専門的な勉強に時間もお金も投資しているのである。
ここで、互いに解釈の違いが出てくるのは当然である。
健康体操派は、何故臨床家は時間と自己投資をして勉強するのかわからない。
何故なら操体は「自分でできるから安い」と思っているからだ。
しかし、自分でできない人もいる。健康の度合いが低く、自分ではどうにもならない人がいるのだ。
そのために、プロが存在するのである。
「治療費が高い」とか「受講料が高い」(実際は期間が長く、じっくりと養成しているので時間がかかるのは当然であるし、やり方だけではなく、診断分析法、操体独自の視診触診法などをやるのだからそれも当然である)とか言う話を聞くことがあるが、
自力自療が可能な健康度合いの方に健康体操を指導するのと、自力自動が可能ではない方に、自力自動が可能なレベルになるまでお手伝いするのと、どちらが労力がかかるかと言えば、勿論後者である。
私は何も健康体操・養生法としての操体が悪いと言っているわけではないのだが、
操体の中にも、自力自動可能な人向けと、自力自動が適わない人向けのものがあり、元々は「医者が自力自療が適わない人のためにやっていた」本来のルーツをもうすこし大切にしたらどうかということなのである。
操体臨床を否定することは、創始者、橋本敬三先生を否定することだ。
また、橋本保雄氏(橋本敬三先生のご子息)は、自分達が学んできたことを安売りするな。見合ったものをいただきなさい、と、師匠に伝えているし、私もご本人からその言葉をいただいたことがある。
勿論日々のケアには操体は欠かせない。
しかし、間に合っていない人にはプロのヘルプが必要なのだ。
この違いを「健康体操・養生法派」の方にはちょっとでもいいので分かって欲しいと思うし、
操体の本当の底力を知って欲しい、体験していただきたいと思う。
一度「きもちよさでからだが劇的に変化する」という体験である。
これを知ってしまうと、以前には戻れない。これを「知る悲しみ」という。