先日、某女子大の先生の「操体 ワークショップ」に、
師匠共々参加してきた。
と言っても私は椅子に腰掛けて見学していたのだが。
その先生の操体の定義の一節がとても気になった。
本来操体は、「誰もが」「どこでも」「パートナーとも一人でも」「いつでも」できるものです。
何度も書いているが、操体はもともと医師が
臨床で用いていたものだし、創始者、橋本敬三医師の時代には
医者から見放された難しい患者が橋本敬三医師の
診療所(温古堂)に訪れていた。
筋ジストロフィーや、膠原病、リウマチなど、
私の知っている方は、10代の男子に頻発する難病で
仙台の温古堂を訪ねたと言っていた。
橋本敬三医師自身も
「ここは病気の墓場だ」とおっしゃっていた。
操体をやっている大学の先生を何人か存じあげているが、
実際に臨床をやっている方はいないのである。
大学の先生方が、操体に興味を持って
研究会や勉強会をするのは悪い事ではないと思うが、
そうなると、本来は「臨床の手段」であった操体が、
健康体操や養生法になってくる。
★現在でも関西地方では、操体が健康体操・養生法として
広まっている。つまり、操体の臨床家があまりいないということだ。
昔は、操体の「使用前使用後」で、尿中のホルモンを
調べて発表した先生もいらしゃったが、最近はそういう話は
聞かない。
そして、
これは何度でも書くが、ある年の全国操体バランス運動研究会で
基調講演をなさった某大学の先生は
「操体でお金をもらっちゃいけません」と言った。
その場には100名くらいの参加者がいたが、
7割は臨床に携わっている方々だった。ブーイングが出た。
★私もブーイングした(笑)
大学の先生は、大学からお給料を貰っているから、
別に操体をボランティア気分で指導してもお金を
貰わなくてもいいのだ。
私も今東京大学の研究所に月数回お世話になっている
からわかるが、大学の先生は、会議室や場所を
借りるのも優位であるし、非常に恵まれた環境にある。
大学の先生という社会的ステイタスもある。
それに、クライアントの症状疾患を解消しなければ
ならないというDuty(義務)もない。
しか~し、我々操体で生計を立てているものは
どうなるのだろう。
これは、プロに対して失礼である。
最近、ネット上でも「プロに何か頼む場合、
タダでは頼めない」という話題を読むことがあるが、
それと似ている。
我々は、例えば
ドアを開けたら這ってきた人とか、
病院に行っても良くならないとか、
大変な人を診ることも多い。
しかし、体操やエクササイズの一環として
大学で操体を指導する場合、対象になるのは
「ある程度動ける元気な人」
「どこか悪いというよりも、パフォーマンス向上」
という方々のほうが多い。
こういう方々ならば
本来操体は、「誰もが」「どこでも」「パートナーとも一人でも」「いつでも」できるものです。
と、言えるだろう。
他の手技療法をみても、操体ほどプロよりもアマチュアが
幅を利かせているものはない。
というわけで、今週末は、
新潟で開催される「全国操体バランス運動研究会」に
行ってきます。