昨日の日曜は、午前中に私の「視診触診講座」、午後が三浦先生の「新創生期第一期」の講習でした。
「視診触診講座」ですが、昨日は毛色を少し変えて、セルフケアの操体、つまり自分のメンテナンスのための動診操法をやりました。
操体って「自分でできる」から興味を持ったと言うヒトも多いのですが、反面「やってみてもきもちよくない」「よくわからない」という声を聞きます。
★そもそも、比較対照の第一分析は、「楽か辛いか」を分析しているので、それに対して「きもちいいか?」という第二分析の問いかけの答えを求めても、ダメなのです。
加えると「楽か辛いか(動かしやすいかそうでないか)」という問いかけをしているのに「これ、きもちいい?」とか、動いてみないとわからないのに「きもちよく動いて」というのも、厳密に言えば的外れです。
以前、農文協の編集の方に「万病を治せる妙療法」とか「操体法の実際」を読んでやってみて「きもちよさ」ってわかりますか?と聞いたことがあります。
「わかりません」とのことでした。
そもそもこれらの本は「楽か辛いか」(動かしやすいか動かしにくいか)という、運動分析の視点で書かれているので、「きもちよさ」を求めること自体おかしなことなのですが、一般的に「操体ってきもちいい」という通念もありますので、大抵の読者は「快」を求めて本を読むワケです。
ちなみに、大抵の方が「操体」といって想像するのが「膝の左右傾倒」「足関節の背屈」「伏臥膝関節腋窩挙上」などです。
これ、操者がいて、介助補助がしっかりなされていて、全身形態が連動していれば、きもちよさに導くことができますが、一人でやってもあまり面白くありません。
★また、これも以前に書いていますが、体操教室などで操体をやっている場合、基本的に「元気で動ける」「身体に対する興味が高い」方が来ていることが殆どなので、「ラクなほうにきもちよく」と言っても、ゴマカシがきくわけです。
本当はラクなほうがきもちいいわけではないことのほうが圧倒的に多い。これは、実際にやってみればわかることです。この違いを分からずに指導しているということは、ホントに操体やってんのか?というのがワタシの疑問。
そして、ぎっくり腰とか寝違えとか、痛みを抱えたヒトに「きもちよく動け」と言うのは酷なことです。
★健康体操的な操体と、橋本敬三先生がなさっていたような、臨床としての操体はこの辺りが違うんです。私は健康体操を否定はしませんが、操体の陳腐化(操体ってわかんない、とか、サークルの健康体操でしょ、みたいな)はして欲しくありません。
膝の傾倒などは、膝が倒れるほうにクッションを置くとか壁を使うという話も聞いたことがありますが、楽はともあれ、きもちよさを味わうにはあまり至りません。
(至るヒトもいます。例えば私は味わうことができますが、それは連動はじめ、操体的なからだをつくるトレーニングをしているからなのです)
ところが、器具などを使わなくても、きもちのよさをききわけ、味わうことが出来る動診操法は存在します。
というわけで、昨日は「セルフケア」をやったわけです。
お題は「膝の左右傾倒」です。
膝の左右傾倒(膝二分の一屈曲位にとり、左右に倒す)、バリエーションがいくつあるかご存知ですか?
大抵は一つだけですよね。
ところが、バリエーションはいくつもあります。
(私のベーシック講習+施術講習で覚えることができます)
★一番ウリのプログラムで、一番人気です。
今回は「新創生期」から参加のメンバーもいましたが(勿論初めて)、実際にやっていただくと
「おお〜っ。これはきもちいいですねぇ!」という声を聞くことができました。
やっていることは膝の左右傾倒なのですが、初めての方でも、殆どの方が「操体ってきもちいいって言いますが、コレなんですね〜」と言っていただいています。
実際に、手順を踏んで、指導を受けながら丁寧にやれば、体感できるんです。
そして、これもポイントですが、「きもちよさ」が伴わないと、毎日続かないんです。
「快」というからだへの「ごほうび」があるから続けることができるんです。
続けるコツ、というのもお伝えしています。
ジョギングとかなかなか続きませんよね。私は走ることはしませんが、一日に一時間は歩いています。これも続けるコツがあるのです。
最近の「健康運動指導士」(いわゆるメタボの指導ができる資格。フォーラム実行委員では、私と香(こう)さんが持ってます)の勉強では、行動変容と言って、運動しないヒトにどうやって運動させるか、というようなことを勉強しますが、「快」という「ごほうび」の存在は大きく、モチベーションを上げるには大切な事柄です。
★仙台の大崎八幡の鳥居。