「動きよりも、感覚の勉強をしなさい」と、操体の創始者、橋本敬三先生はおっしゃったそうです。
確かに黎明期の操体は「動き」でしたが、それが「感覚」に移行し、それが今、さらに進化を遂げようとしています。
★「それ」は Coming soon!
私達は、操体を学ぶ際に、受講生は「操体とは、運動分析ではなく、その当人にしかわからない感覚分析を用いる」と習います。
大抵は「運動分析」や可動域(ROM)などを、操者が客観的にみて評価するという方法を知っているので、ここでとまどいます。
そして、大抵は「うごかしやすい」イコール「きもちいい」という思い込みがあったことに気づくのです。
そうすると「楽な方にきもちよく」という言葉に対して、疑問を抱きます。
何故なら、実際にやってみると、楽な方、可動域がある方と快が一致することは少ないことを知るからです。
つまり「楽でスムースで何ともない」という状態を知るからです。
これは文字通り「楽でスムースでバランスがとれていて、ニュートラルでなんともない」という状態です。
快、ではないのです。
× 楽な方に、きもちよく動きましょう、
ではなく
○ 楽な方に、スムースに動きましょう、
ならいいんです。
これ、体操教室のように、ある程度元気で動ける人に対してならば「楽な方にきもちよく動きましょう」と言っても、差し支えありません。
百歩譲って、操体を養生法とか健康体操としてやっているならば、これは仕方ありません。また、その違いが分かっている指導者の数が圧倒的に少ないのも事実です。
体操は、そこまで「感覚」という分野に踏み込んでいませんから。健康維持増進という目的、元気な人が病気にならないためのケアであれば、きもちよく伸びて、といってもそんなに問題はありません。
何故なら、やろうと思えば「きもちよく動けちゃう」からです。
しかし、操体の臨床を行う場合「感覚分析」というのは「診断分析法」ですから、もっと慎重に行う必要があります。
相手はどちらかと言えば「健康維持増進」ではなく
- 現在不調を抱えていて、健康の度合いが下がっている
- 六割の健康状態であれば自力自療も可能だが、健康状態が六割に満たないので、それをアップさせ、自力自療がかなうくらいの健康度合いに持っていく
という場合がメインなので、「感覚分析」を慎重に行う必要があるのです。
元気で体操できるような方ならば「きもちよくからだを伸ばして~」と言ってもいいですが、ぎっくり腰や膝の痛みを抱えてくるクライアントに「きもちよく伸ばして~」と、言えないのは当然です。
そういえば、先日美容院に行きました。
美容院ではシャンプーしてくれますよね。あれは本当に至福です。
シャンプーしている途中に「おかゆいところはございませんか?」と聞かれます。
「右足の裏がかゆい」と言うのは関西の人らしいですが(笑)。
シャンプーをしてもらっている時、美容師さんは「きもちいいですか?」とは聞きませんよね??!
というか、何だか聞かれたら違和感がありませんか。
★関西はどうか知りませんが、東京の美容院で「きもちいいですか」と聞かれたことはありません(情報もとむ)。
操体でも「きもちいいですか?」といきなり聞いたりしない(操体法東京研究会の受講生はじめ、私はそうです)のは、もしかすると、東北らしい奥ゆかしさではないかという気もしないではありません。
それはさておき、操体臨床で、いきなり「きもちいいですか」という問いかけをしないのは、美容師さんがシャンプーしながら「きもちいいですか」とは聞かないのと、少し似ている気がします。
美容師さんは「ヘンなところはありませんか」「おかゆいところはございませんか」ですよね。
本人にしかわからない「感覚」に対し、いきなり「きもちいいですか」と土足で踏み込むようなことをするのは、やはり失礼なことなんです。