操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

痛い施術によるトラウマ。

先日の話です。

整体で痛いことをされ、すっかりトラウマになってしまったという方がいらっしゃいました。

 

もう「痛いことをされた」ということで、頭がいっぱいになってしまい、気分が落ち込んでしまったり、何よりも自分のからだをボコボコ(痛みを与えられたということ)にされるのを許してしまった自分が許せないとか、何でそんなところに行ってしまったんだろう、とか。

 

 

例えば、今、ぎっくり腰で痛くて動けず、一時でも早くこの辛い症状から解放されたい、という場合ならば「痛くてもいいからどうにかしてくれ」ということで、多少痛みを伴うことを、クライアント自身が受け入れることもあります(からだ、の本音は、わかりません)。

 

ところが、不定愁訴とか、緊急を要する痛みや不調ではなく、クライアント自身のメンタル的な波長が下がっている場合は少し考えなければなりません。

 

このような場合は、施術(治療)の前に、からだと心が「癒し」を求めている場合があるからです。

 

 

特に最近は、このようなケースが多いので、「昭和の時代」(強揉みや強押しや頸椎のスラストや、痛みを伴うハードなものなどが流行ったことを総称しています)のやり方が、通用しないのは、皆さん勿論ご存知でしょう。

 

 

この方は、なんだかとっても痛いことをされて、自分が悪いわけでもないのに、なんだか憂鬱になってしまったとのことでした。

 

 

そういえば、超痛い治療をいくつか受けたことがありますが、不思議なことに、後味がいいのと悪いのがあるんです。

 

一つは、25年位前でしょうか。そのスジでは有名なT先生という方がいらっしゃいました。何でも顧客には医師や看護師さんなど、医療関係者が何故か多いとのこと。
この先生のはとにかく痛いんです。ワタシはこの先生から直接手ほどきを受けましたので、これ、できます(笑)。

 

特徴ですが、やられている最中、特に一瞬先生の手が筋とか腱に触れる時は、一瞬ですがめちゃくちゃ痛い。でも、先生の手が離れると、痛みはすぐ消えます。

そして、終わった後の爽快感が半端ない!
痛くても、この爽快感が味わえれば??我慢できるかも??という感じでした。

 

もう一つは20年程前ですが、友人のライターの取材の手伝いで、カメラマンとして同行した時の話です。友人はある雑誌に、色々な健康関係の記事を書いており、面白そうな治療や施術をするところを突撃取材するわけです。
ワタシも役得で、カメラマンとして何度か同行しましたが、勉強になったものです。

取材に行ったのはいわゆるカイロ系の治療院だったのですが、施術者の先生に「あ、アシスタントのカメラ持ってるキミ、ちょっと来て」と、思いがけない方向に話が進み、ワタシはイヤイヤながら受けることになったのでした。

 

それはストレッチと揉みと筋膜はがしのような感じで、もう痛い!

そして、ずっと痛いワケです。

そしてそして終わってからも痛くて、疲れがどっと出て、帰りの電車ではへたっていました。ライターの友人もぐったりしていました。

 

勿論、帰宅後操体でメンテナンスしましたよ。

こちらは、合う合わないで言えば、ワタシには合わなかったようです。体調がもどるまでに、3日くらいかかりました。

★これを「好転反応」と言う方もいるかもしれませんが、ワタシはダメです。

 

ちなみに、痛い治療と言っても、上手い先生とか名人は「秒殺」なので、良い結果が出せるのでしょう。また「秒殺」は、後味がいいのが特徴です。
「痛いけどきもちいい」といわれることもあります。
「痛いけど上手い」という先生は多分ここが優れているのです。

 

私は、操体法東京研究会の受講生向けに、補講で「視診触診」の講座をやっていますが、この中で「秒殺」と「生殺し」というのを指導しています。

 

実は操体にも「痛い」ことがあります。

それは、診断分析時の「触診」です。操体は「動かして痛いこと」はしませんから、動診では痛い事はしません。

 

ほんの一秒程度のことですから、安心して下さいね。

 


「診断(分析)しているのだから、ちゃんと診ろ」ということです。
また、この時の微妙な逃避反応も、操者は診ているわけですね。

 

この場合の特徴ですが、まさに「秒殺」です。触診時に一瞬痛みを与えますが、後味はすっきりしています。

 

これ、痛みを与えなくても私達には(※1)わかるのですが、被験者に「何で首が痛いのにこんなところが痛いの??」という、啓蒙でもあります。

 

(※1)こういう勉強を常日頃やってるわけです。

 

一方、触診がヘタクソだと、「秒殺」ではなく、いつまでも鈍い痛みが残り、後味が悪い「生殺し」になるわけです。

 

そしてその一瞬の「秒殺」の後は「きもちよさ」をききわけ、味わうというプロセスが待っているわけですから、最初の「後味のいい一瞬痛い触診」は、相殺されますし、最後には「先程痛かったところ」から痛みが消えているということになるのです。

 

 これは、精神科医水島広子先生の本です。摂食障害がテーマになっていますが、対人関係療法の参考書としても優れています。

冒頭に登場する、患者A子さんが受けた、本人の心とからだを無視した、医師による辛い治療(読んでいて背筋が凍るようでした)を受け、治療がトラウマになってしまったというケースです。

 

私はこれを読んで、本人のからだとこころを無視した、痛い治療や施術というものは、施術者、治療家が思っている以上にダメージやトラウマを与えているのではないかと思っています。むしろ、虐待に近いのもしれません。

 

そうやって考えると、「きもちよさでよくなる」という操体は、21世紀のメソッドではないかな、と思います。