「からだにききわけて」というのは、操体の臨床でよく使うキーワードです。
これは、体感語のひとつで、相手(エゴ)が、わからなくてもからだが体感してくれる言葉の一つです。
操体では、この「体感語」をよく使います。
私達は「言葉のちから」を知っているので、操体臨床で使う「言葉」を統制しています。
「楽でも快でもきもちよさを探してでもなんでもいいじゃん。いろんなやり方があるじゃん」ではないのです。
「いろんなやり方の方がいる」と言う方もいますが、それは結果が出ての話。
いろんなやり方でも、結果がでないのでは、おそ松さんです。
「きもちいい、じゃなくてここちよい、でもいいじゃん」でもないのです。
言葉のコントロールができずして、他者のからだを操ることができましょうか。
さて、この言葉ですが、最近思うに「言うは簡単だけど、実践はなかなかハードルが高い」ということです。
というのは「からだの声を聞こう!」とがんばる時点でアタマ優位になっているから。
「どこがどれくらいきもちいいかな?」と、思考を巡らせた時点で、アタマ優位になっているから。
そして、この「アタマ優位」により、「からだの声をきく」という行為はなかなか大変なことになっています。
よく思うのが、講習で「力まないように」といっても力んでしまうように、自分のからだというのは、自分でコントロールできるようで、実は結構練習とかコツや慣れが必要だったりするのです。
つまり、自分のからだをコントロールするにも手間がかかるということです。自分のからだだからと言って、自由に操つることができるわけではないんです。
そのために、スポーツ選手は練習を積むし、剣術や武術のケイコも同じように練習を積みます。この練習のお陰で、からだを操ることができるように、近づいていくし、音楽家も同じです。
「からだの声を聞け」というのも同じです。
自分のカラダだから、すぐ声が聞こえるかというと、そんなことはないのです。
それは「原始感覚」が鈍っているから。
その「原始感覚」を呼び覚まし、「からだの声」を聞く(受ける、キャッチする)力をアップさせるのが、操体です。