先日の講習で「なるほど」と思ったことをメモしておきます。
「動き(無意識の動き)が大きいほうがあとでスッキリする(効く)気がする」
という話がありました。
これはですね、
人によりけりなんです。
静かにお地蔵様のように?寝ていても、実はめちゃくちゃきもちよかったということもあります。
また「操体でいうところの快(きもちよさ)」は、動診(診断分析)の過程で体験するきもちよさ、だと考えるといいでしょう。
「きもちよければ何でも操体だ」というのは多少暴論です。
また、体質的に、無意識の動きが起こりやすいとか、きもちよさが聞き分けられやすい人もいるのは事実ですし、その逆のケースもあります。
一つ注意が必要なのは「きもちよさを聞き分けやすい人」が操体の指導をする場合です。この時に「自分がきもちよさをききわけるのと同じ位、他者もききわけやすい」という錯覚を起こすことがあります。
そうです「きもちいいでしょ?」というきもちよさの押し売りをしてしまうことがあるのです。
「感覚」は、自分がそうだからといって、相手もそうだとは限らないのです。
その昔、渦状波®をやっていたところ、被験者の方が
「顔の下を虫が這っているような感じがする」というので「もしかすると不快な感じなのかな?」と「どんな感じですか」と聞いてみたら「きもちいいですよ」と答えるのです。
もう一例ですが、渦状波®をやっているとき、被験者の方(先の方とは別の方です)が、「暗いところで、大勢の人が悲しそうな目をしてこちらを見ている」というのです。この方は、ユダヤ関係の研究をしている方だったので、迫害されたユダヤの方々のイメージなのかな?と、「このまま続けても大丈夫ですか」と、聞くと「ハイ、大丈夫です」と言います。終わってから聞いてみると「悲しそうな目をしている大勢の人」のイメージが見えるのですが、それが「悲しい」とか「見たくない」という感じではなかったのだそうです。
また「自分は感覚が鈍いから、これがきもちいいのかどうかわからない」という人もいます。その場合は「味わってみたいからだの要求感覚はあるのかどうか」を確認します。