「イサキ」という操体関係の小冊子があります。
「万病を治せる妙療法」をメインというかお手本にしていると私は理解しています。
その冊子に、編集の方が「熊本に行った際、イサキでは新しい取り組みや工夫は載せないのか」というような質問を受けたそうですが、基本的にイサキ誌では、「橋本敬三先生の残したことが総論の原理原則で、各論は本筋の原則を見失うことにならないか?型にはめないためには常に原理の確認が大事なのでは。工夫のやり方を聞くのも大切。皆さんはどうお考えですか」という文章があったので、私なりに考えてみました。
この「新しい取り組みや工夫」というのは、想像するに「皮膚へのアプローチ」とか「第二分析」かもしれません。他にも○○操体ってありますけどね。
今は、ネットがありますので、調べれば最近の操体では「皮膚」へのアプローチはじめ新たな取り組みがある、ということは、すぐ分かります。
新しい工夫というリクエストがあるのもよくわかりますが、私自身、
イサキでは、
新しい工夫ややり方は、載せないで、原理原則を貫き、万病を治せる妙療法系を貫いてもらいたいと思っています。
原理原則は大切だからです。
我々操体法東京研究会のメンバーは「からだの設計にミスはない」を写本したり、「生体の歪みを正す」のどこに何が書いてあるかほぼ把握しているメンバーもいます。橋本哲学を深く勉強しているのです。
三浦先生の「生体の歪みを正す」などを見せていただくと、付箋と書き込みで厚さが1.5倍くらいになっています。
はっきり言えば「操体はみんなのもの」という、言葉を使って「新しい工夫」などを勝手な解釈で掲載するのはやめたほうがいいと思うからです。
新しい工夫を掲載するのであれば、それを考案した方に、ちゃんと教えを乞うべきです。それを「操体はみんなのもの(だから勝手に使っていい)」ということにはなりません。
操体関係者の悪いクセで、「きもちよさ」をはじめ「目線」「皮膚」など、最初は否定する割にはしばらくすると、
さも最初からそれが操体にあったような感じで、
「皮膚への操体マッサージ」とか、ちゃんと勉強もしない割には、言葉を拝借して「操体はみんなのものだから、皮膚の操体もそうでしょ」みたいな言い方をするんです。
また「第二分析」も、操体法東京研究会で使っている用語ですが、当研究会以外の人が、使っているのを見かけます(使うなら勉強して使ってほしいし、難しいとか難癖つけるなら、勉強してからにして欲しいと思います)。
ちなみに、私は仏教を勉強していますが、仏教も「お釈迦様の教えを忠実に守る」つまり、上座部仏教(今は小乗仏教とは言わない)と、大乗仏教に分かれました。
上座部は、お釈迦様のなさったことを、大乗はその時代に合ったものとして発展していったのです。
何かが発展する場合、創始者のなさったことを忠実に守る派と、その時代にあった形になるものが出るのは当然です。
しかし、
イサキの読者の方が、新しい工夫を知りたいのであれば、「イサキ」にそれを求めるのはお門違いです。新しい工夫ややり方を知りたければ、実践しているところに求めるべきであり、ちゃんと対価を払って勉強しにくるのが仁義というものです。
「操体はみんなのものだから、皮膚へのアプローチもタダで教えて欲しい」なんていうのは、「原理原則」と「それに沿った創意工夫」を混同しています。
橋本敬三先生も「自然法則の応用貢献」という言葉を使われています。
私にとっては「原理原則」よりも、こちらの言葉のほうが近い感じがします。
皮膚も、軸も、連動も(色々臨床的に工夫を積み重ねたものがあります)原理原則をもとに創意工夫したものです。
何度も言いますが、創意工夫にはコストも時間もかかっているんです。
それを「みんなのものだからタダで教えろ」というのは、ハリセンではたきたくなるくらい、アホです。
これを混同しているから「講習会の受講料が高い」とか「橋本先生からは操体をタダで習ったから受講料を取るのは間違っている」ということになるのです。
そしてこの場合は、原理原則と、実際の臨床実技を混同しているのです。
橋本敬三先生の時代には「からだを間違って使ってぶっこわしたんだから、動かして治せばいい」で済んだのです。
しかし、今は「からだを間違って使ってぶっ壊した」というよりも、心や環境の問題でぶっこわしている方が圧倒的に多い。
そのために創意工夫が生まれたわけです。
なので、今から40年50年前の操体に比べると、現在のものは、相当繊細に進化しています。ジェンダーの問題や、社会的環境の変化なども当然ながら関わってきています。
しかし、揺らがない原理原則の提示は必要です。
因みに、いわゆる第一分析は、原理原則ではなく、原理原則に基づいた、昭和の時代のやり方です。その当時の社会的状況にマッチしたものだったのです。
原理原則というのは「生命現象は快に従う」「救いと報いの関係性」などを言うのであると理解しています。