私の父(橋本敬三先生逝去の一週間前に急逝)は、某テレビ局のワイドショーの制作をしていた。秋篠宮様と紀子様がご成婚に至るまでの取材などもやっていたような気がする。
一方私は子どもの頃から、日曜は「皇室アルバム」と「兼高かおる世界の旅」を見ていた。夏になると「ナスのゴヨウテイ」に避暑に行くとか、女性皇族の方は、いつも帽子を被っているとか、なんだか面白かったのである。
特に、美智子様は、子どもの目から見ても、なんてキレイで品がある人なんだろう、優しそうなお母様だな、と思ったものだった。
というわけで時は流れ、令和になった。
この本は、
天皇陛下に読み聞かせた
子どものための
「古事記が」が復刻
なのだそうである。
戦前に大阪で幼稚園を経営していた藤田ミツさんが、子どもたちに日本の神話に親しんでもらおうと、昭和15年に「古事記」をやさしく書き換えたものだ。オリジナルはカタカナで書かれていたらしいが、昭和41年、ミツさんは浩宮様にも読んで頂きたいと、ひらがな版を出した。そして、今回、三度目の発行が「令和版」である。
これは「読み聞かせ」の本ではないだろうか。
というのは、
「もやもや むくむく」(雲と海)や
「けーん けーん」(キジの鳴く声)など、オノマトペが結構でてくるのだ。
古事記は色々しらべてみると面白いことだらけであるが、それについては今日は割愛する(稗田阿礼自体が実在の人物かどうかわからないとか、女性であるとか諸説ある)。
開いてみると、
- 高天原のまき
- 出雲のまき
- 高千穂のまき
- 大和のまき
となっている。
子ども向けとはいえ、いや、子ども向けに易しい(やさしいというのは、簡単という意味だけではなく、藤田ミツさんの、子どもにわかりやすく伝えたいという気持ちがこもっているということだ)からこそ、大人が読んでもすっと入ってくるのだ。
この本でまず目を引くのは、挿絵の面白さだ。
見返しには、大八島(おおやしま)の国として、日本が描かれている。
本州、佐渡島、隠岐の島、淡路島、伊予の島(四国)、筑紫島(九州)、壱岐の島、対馬で、八州である(北海道はない)。古事記の時代、北海道はまだカウントされていない。
表紙裏の見返しには、大八島と因幡のしろうさぎとワニザメの可愛らしい絵が書かれている。裏の見返しには、大八島と、あめのうずめのみことが、さるたひこの行方を海の貝やタコ、カニに聞いている絵が書かれている。
伊勢の猿田彦神社の中には「さるめ神社」がある。さるめとはあめのうずめのみことのことであり、天岩戸の前で、隠れてしまったあまてらすおおみかみの気を引くために、桶を伏せたものの上に上がって踊る。これによって、あめのうずめのみことは、日本で最初の「パフォーマー」として、現在もさるめ神社に芸能の神様として祀られている。
有名なのは、あめのうずめは、最強のナイスバディ(笑)の持ち主であったそうだが、顔は美人というよりは「愛嬌」があったと言われている。この裏見返しのあめのうずめのみことは、すごく「おかめ顔」に描かれているのだ。そういう細かいところも面白い。
さて、話は戻って「国生み」の話だ。世界がまだ混沌としていて、海と雲ばかりだったころの挿絵をみると、海と雲にそれぞれ顔が描いてある。昔は海と雲もかき混ぜた卵の白身と黄身のようにごちゃまぜだったのだ。そこで、軽い雲は空に、重い水の海は下に行って、天地がわかれる。天地創造だ。カオスから天と地にわかれて、はじめて日が昇り、夜が明けるところが書かれているが、大人が読んでも「なるほど」である。
そこからは、三柱の神様が生まれ、若いいざなぎのみことと、いざなみのみことが国を作るようにと、二人に「あめのぬぼこ」を持たせて地上に行かせるのだ。
このカップルが国生みをする話は、有名といえば有名なのだが、この辺りは子ども向けということもあり「ボクのでっぱってるところと、キミのへこんでるところを合わせて国生みしない?(意訳)」という記述や、最初に女神が声を発したのでヒルコが生まれてしまい、海に流したという話は書かれていない。
また、いざなぎのみことが火の神を産んだ際、女陰を火傷して亡くなったとか、その後、黄泉の国に行ったいざなぎのみことを追っていったいざなぎのみことが「見ちゃいけない」と言われたのに、見てしまったところ、変わり果てた妻の姿を見て、おそろしくなって逃げるところとか、その辺りもやんわりとぼかされている。
すさのおのみこと神殿脱糞事件なども当然ながら書かれていないが、それは細かくしっている大人の目だ(本当はこの辺りが一番面白いと言えば面白いのだが)
言うなれば、そういうことは大人になってから「三浦口語訳古事記」とか読めばよいのだ。
先にも書いたが、この本は実際に声に出して読んでみることをお薦めする。
子どもに読んであげてもいいし、自分自身に読み聞かせるのもいいと思う。