この言葉は、操体の創始者、橋本敬三先生が90歳を過ぎてからおっしゃったことだと聞いています。
これは、操体が「楽な動きか楽じゃない動きか」(スムースかスムースじゃないか)という、「運動分析」の問いかけから、「感覚分析」に変わった時のことを示しています。
そして、これは、患者さん(クライアント)ではなく、操体指導者、施術者向けの言葉です。
今、操体のことは殆どの方は「快・きもちよさ」だと認識していると思いますが、これは「感覚」のことを言っています。
操体の指導者に必要なのは「感覚」、それも「原始感覚」。
つまり「快か不快かききわける力」です。
原始感覚を磨くには、いくつか方法がありますが、一番良いのが、操者、指導者自身が「質の高い快」を味わうことではないでしょうか。
たまに、自分自身が「操体的な質の高い快」を知らないのに、口先だけで「きもちいいですか」と聞いているようなケースを見受けますが、本人がイメージできないものを、他人に問いかけるということ自体がナンセンスです。
実際「快」を分かっていない操者が「快」とか「きもちいいですか」とか言っても、相手(被験者・クライアント)の「からだ」にはバレます。
「快の何たるかを知らずに、私(からだ)に『きもちいいですか』なんて聞くのは100年早い」と言われるのです。
まあ、問いかけ方もありますが、
「きもちいいですか」と聞いて、被験者に「わかりません」と言われる理由です。
なので「動きよりも感覚の勉強をしなさい」なのです。
★我々操体法東京研究会では「きもちいいですか」というような、不躾な問いかけはしません。もし、講習中にそういう問いかけをしたら、私が「こら~っ!」と(笑)
「快をききわける力」というのは、「学ぶ」ものです。訓練と言ってもいいかもしれません。
これは男女差別ではなく、性差の問題ですが、女性は比較的感覚を捉えやすいです。
男性は、自分の感覚をそれほど外に出さないとか、外ではヨロイをかぶる傾向もありますので、感覚の捉え方に慣れていない場合があります。
実際、操体法東京研究会でも、最初は「快という概念がわからない」という方もいらっしゃいますが、学んで行くうちに、捉えられるようになってきます。
この場合ですが、やはり「素直なこと」が大事です。
被験者(クライアント)に「快」を提供できるのは、まず操者(指導者)自身が「快」を味わい、「快」を学ぶことから。
そのための一歩として、足趾の操法®があります。
先日のフォーラムでも初めて受けた方が「幸せな気分になって、ずっとこの時間が続けばいいと思った」とか「意識が飛んでアタマがクリアになった」という感想を頂きました。
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