操体関係者にとって「般若身経」というのは、慣れ親しんだ言葉であると思う。
私もその一人である。
先日、春のフォーラムをzoomでやっていた際、また、その後、フォーラムの相談役の方からアドバイスを頂いた。
操体関係者にとっては大事な話だと思うので、書いておく。
それは「般若身経」という言葉を使うからには、もともとの「般若心経」についてちゃんと勉強しておきなさい、ということだ。
これはもっともなことだと思う。
般若心経は、浄土宗系、日蓮宗以外の、伝統仏教で読まれる経典であり、最もポピュラーなお経と言っていいだろう。
世の中「はんにゃしんぎょう」と聞いて「般若身経」を想像する人よりも、「般若心経」を想像する人の方が多いのだ。操体関係者はこれを忘れてはいけない。
★仏典の「般若心経」も、宗派によって読み方が違ったりする。
★これは「色んなやり方があっていい」というのではなく「原理原則を踏まえた上で、それぞれの宗派のやり方がある」ということだ。
操体における「般若身経」も「色んなやり方があっていい」という話もあるが、やはり、原理原則は守る必要があるだろう。
そもそも「般若身経」って何だ?ということから考える。
操体関係者は、前屈、後屈、左右捻転、左右側屈(これに、両手を挙げてバサッと落とすとか、手を大きく振ってのその場足踏も入ったりする)の「基本運動」の愛称であると思うだろう。
また「身体運動の法則」つまり、重心安定の法則、重心移動の法則、連動の法則、呼吸との相関性という「三法則と一相関性」を、「心についての真理を説いた、短いお経、般若心経になぞらえて、身体の使い方のエッセンスを説いたもの」としているところもあるだろう。
1.基本運動、健康体操の愛称
2.身体運動の法則の愛称
という二つの見方がある。1も2もどちらでも構わない。橋本敬三先生は、最初2で考えていたようだが、わら半紙に「般若身経」を刷って患者に渡しているうちに、基本運動、健康体操としての一面が出てきたのも事実である。
操体実践者の必読書に「生体の歪みを正す」という橋本敬三先生の本がある。
この本の「般若身経」というところを読むと(37ページ)、注釈で
仏意を集約した一番短い経典「般若心経」になぞらえて、著者年来の主張を要約した一枚刷りのビラを「般若身経」と名づけ、みんなに配布してきたが、このユーモアは通ぜず、誤解されるので、最近はこの命名をはずしている。
と、書かれている。
実際、関西地方ではトラブルがあったようで「般若身経」という名称を使わずに「基本動作」と言っているところもあったりする。
私自身も、操体に関係ない方から「操体は、仏教に関係あるんですか」と聞かれたことがあるし(般若心経と勘違いしやすい)、マドリッドでは「般若心経だと思っていて、操体は仏教に関係あるのかと思った」と言われたことがある。
つまり、操体関係者にとっては「般若身経」=「身体運動の法則、基本運動」であっても、操体関係者以外は「般若心経」と勘違いすることがあるのだ。
「ユーモアは通ぜず」ということが本に書いてあるということは、実際何かあったのだと思うが、
「仏教に対して失礼だ」とか「操体は仏教と関係があるのか」とか、そういう意見がったのかもしれない(これは、私の周囲であったことなので、おおいにありうる)
「般若身経」という言葉のインパクトが強すぎて、未だにこの言葉は生き残っており、操体関係者が普通に使う言葉になっているのだ。
ユーモアで命名したのはよくわかるが、インパクトがありすぎてこの言葉が一人歩きしているところもあるように思える。
なので、私は内々では「般若身経」という言葉は使うが、対外的(例えば講習)に使う場合は
身体運動の法則(三法則と一相関性)
・重心安定の法則(からだのつかいかた)
・重心移動の法則(からだの動かし方)
・連動の法則
・呼吸との相関性
身体運動の法則(からだの使い方、動かし方のエッセンス)を、心の真理を説いた短いお経、般若心経になぞらえて、「般若身経」と言っています、操体用語です、と伝えるようにしている。