操体法大辞典

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般若身経を習得する秘訣(編集しました)

★文章が重複していたので、少し手直ししました。

 

 4月29日(木)昭和の日、2021年春季東京操体フォーラムを、オンライン開催致します。

www.tokyo-sotai.com

 

今回も昨年秋に引き続き「セルフケア(特選)」ですが、この際なので、東京操体フォーラム実行委員や、受講生メンバーが「どんなセルフケアをしているのか」ということを、リサーチしてみました。

 

頻度。流石皆さん、毎日やる方が多いようです。

 

私もやりますが「ちょこちょこ」というのが正解に近いかな。
起床時と、入浴時にやることが多いです。

 

多分、歯磨きとか洗顔のように、生活の一部に組み込まれているのではないでしょうか。

 

「なんにもやってないですよ」という人に限って、生活の一部になっていて、苦労してやっている、という感じがない、というのが理想ですね。

 


般若身経:

からだの使い方、動かし方を、真理を説いたお経になぞらえて、操体界界隈ではこのように呼んでいます。操体界界隈では、有名ですし「般若身経にはじまり、般若身経におわる」と言ってもいいくらい、大事です。

 

「からだの使い方、動かし方のスタンダードであり、診断法であり、治療法でもある」という、セルフケアの真髄です。

 

これを習得するには、ちょっとした秘訣があります。

 

私は長年「般若身経」を一般の方やプロに教えていますが、やはり、指導する順番があるのです。

 

なお、操体を学んでいて、ご自身も「般若身経」を一般の方に指導する機会がある方に聞いたところ「感覚をききわけられないのが一番大変」だと言っていました。

 

実は、これが「ちょっとしたワナ」なんです。何がワナなのかというと、

 

この方は、身体能力がとても優れている方で、なおかつ感覚の聞き分けも抜群に良いのです。なので「感覚がききわけられない」ということが、多分「想定外」なのだと思います。

 

しかし、

 

般若身経の指導は、まず

型です。

 

操体を学ぶ過程では「感覚のききわけ」も大事ですが、それはプロセスの中にあります。

最初から「感覚がききわけられる人(とくに快)」は少ないとみていいです。

 

最初は、重心安定(手は小指、足は親指@母趾球)、重心移動(捻転する場合は、捻転する方の足の母趾球に重心が移動し、反対側の足のカカトは軽く浮くなど)を、足のみでしっかり形として覚えてもらいます。

 

手をつけると、皆さんほぼ100パーセント、手に意識が行くので、捻りすぎたり倒しすぎたりして、重心の移動があやふやになります。

 

手をつけるのは、足の「型」をしっかり覚えてからのほうが良いのです。

 

般若身経を指導すると、本などをしっかり読んでいて「きもちよさ」とか「感覚」という方もいらっしゃいますが、私の場合、最初は「感覚(痛いとか辛いとか、そういうのは別にして)のききわけ、快のききわけ」は、置いといてもらいます。

 

何故ならば「型」を覚える前に「感覚」とか「快をききわける」というのは、順番が逆だからです。

 

★実際に長年指導してきて、一番大変なのは、最初から「快」とか「感覚のききわけ」という「単語」のみが頭にインプットされていて、それにこだわって、執着すること。「快」後のお楽しみ、と言っているのに 今やりたい!と言っている場合です。

 

今は操体から離れていますが、一時フォーラムにもいらっしゃった元総合格闘家の方は、以前「やっとわかったんですよ」というので

「何がわかったの?」と聞いてみたところ

「自分が感じられることが、普通の人は感じられないことがわかった」と言うのです。

「般若身経とかやってると、全身が繋がるっていう感じがあるんですが、これを感じられない人がいることがわかった」というのです。

 

つまり「自分が感じることができるから、他の人もそうだと思っていたら、そうじゃなかった」という話です。

 

操体を勉強したいという人の中には、身体能力がものすごく優れている人が結構いるのですが、つまづきやすいのが、この点です。

身体能力の高い人達は、ここが通過点です。

 

自分が「ほら、こうやると、きもちいいでしょ?」とやってみせても、相手(クライアント)は「は?」ということもあるのです(私のクライアントから聞いた実話です)。

 

「自分ができることが、他者にもできるわけではない。特に相手は、症状疾患を抱えたり、トラブルを抱えたりしている」ことは忘れてはいけないのです。

 

般若身経初心者に、いきなり「きもちいいでしょ」とか(先方が言ってきた場合などは別ですが、相手が最初から「快」を求めていたりしたら要注意です)いうのは適切ではありません。

 

まず「型」です。

 

感覚云々はまず置いといて「型」を忠実に再現できるようになるのが先です。

そもそも、型ができていないのに、快適感覚のききわけもへったくれもないのです。

つま先とかかとは平行、とか、含胸抜背(背筋は軽く伸ばし、骨盤は反らせない)など、慣れないポジションをとるので、最初はきゅうくつなのは当然なのです。

 

いいですか。快適感覚のききわけは、まだですよ。

型ができてから。それを心得ておいてくださいね。

 

それも母趾球の重心移動から。足ができるようになったら、上肢の動きもつけていいでしょう。

 

「型」をやっている最中は「やりやすいか・やりにくいか」「どっちが動かしやすいか」というように「運動感覚差」や「ROM」でも構いません。

もう、この辺りは「第一分析」です。

 

この最初のステップで、色気?を出して「きもちよさ」とか入れちゃうので、話がややこしくなるのです(経験済み)。

 

そして、般若身経が上達したかどうかというのは、自分でも分かります。

鏡をみて実際にやってみて「美しく」見えれば上達しています。


この辺りまできて、充分型が練れてきたら「感覚のききわけ(それも快)」に行く、そんな感じです。

 

実は、我々もこうやって「型」や「完コピ」から入って、型ができたらその次、というように、学んできたのです。

 

最初から「きもちよさがバンバンききわけられる」とか「やれば必ずきもちよさが味わえる」ということは、まずありません。

 

しつこいようですが、きもちよさ、感覚のききわけは置いといて、まずは「型」です。

 

何事も最初は「型」。それは操体も同じです。

守破離」の「守」です。

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まずは「型」からね!