先日、操体を受けに来た方が「知りあいから操体を教えてもらったんだけど、2000年頃に、仙台まで行って、橋本敬三先生に操体を習ったらしい」という話を聞いて、
橋本敬三先生は、2000年には、既に祖神の里に帰られた後だよね。。。。
と思いました。この方は、もしかすると勘違いかもしれませんね。
この方の他にも「その頃、橋本敬三先生はご存命でない」時に「橋本敬三先生に操体を習った」と言ってた人も数人いましたっけ。。。
橋本敬三先生は、定例講習などは開催されていなかったのです。
地方で単発の講義とか(古い記録で、駒場東大で講義したというのもありました)はあったようですが。。
何人かの先輩に聞いた話ですが、操体を勉強したいと仙台に行ったところ「東京に弟子の三浦がいるからそっちに行け」と言われ、三浦先生の講習に参加したとか。
(故根本良一氏、故瓜生良介氏から畠山が直接聞いた話です。お二人とも、年下の三浦先生の講習に参加したというわけですね。長野の故白澤氏もそうでした)
スポーツプログラマの資格更新研修にて。
「橋本敬三の直弟子」という先生(講師プロフに記載)に(実は、三浦先生の講習の受講生で、講習が終わってから、たまに仙台に行っていたらしい)講習後
「三浦の弟子でございます。先生のことは三浦から聞いております」と挨拶したら
「あ、私も三浦先生のところで勉強して、それから仙台に何度か行ったんですよ」
(かなり焦っていらっしゃいました)。
ある手技療法系のセミナーにて(三浦先生と一緒に行った)。
某大学の教授。
「操体法の創始者、橋本敬三の弟子」と、プロフに書いてありました。
講習の最中、その先生、三浦先生を見つけて
「私は橋本敬三の弟子じゃありません。瓜生さん(故人。快医学)と一緒に三回くらい仙台に行っただけです」と言ってきました。
後半は「三浦先生、お願いします」的な展開になりました。
ちなみに、以前「破門」(破門されるからには、それなりの理由があります)された人がいます。
これは他の方から聞いたのですが、サイトに「操体法の大家M氏に操体を習う」と書いてあったので、その方が「叱咤」して削除させたとのことでした。
(操体法の大家M氏と言えば、わかる人はすぐわかります)
多分「破門された」の意味がわかってなかったんでしょうかね。。。
ちなみに、伝統療法カンファレンスでたまにご一緒し、東京操体フォーラムにもゲストで来て頂いたことがある、杉本錬堂先生(三浦先生の治療室にある法螺貝は、杉本先生から頂いたものです)。
杉本先生は「天城流湯治法」というのを主宰していらっしゃいますが、ある時、あるメディアでたまたまですが、うちの師匠から破門された方が「天城流湯治法」を名乗っていることがわかりました。
世の中狭いもんですね。
そういえば、20年以上前、まだインターネットがそんなに広まっていない頃。床屋さんの専門誌みたいな本に、静岡のある方が「私が発明した操体法を教えます」的な記事を書いていた、と聞いたことがありますし、最近では、秋田方面から「私が操体法を発明した」と言ってる人もいるという話を聞きました。
なんだかきりがないのでやめますが(笑)
スペインには、夏休みに2週間くらい、故根本良一さんのところに行って操体を習い、「私こそヨーロッパの操体の正当な相続者である」と「ネモト」を名乗り、本を出しちゃった人とかもいました(私はスペインの生徒さんから「あの人はネモト先生の息子だと名乗っているが本当か」と聞かれたことがあります)。