操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

神は細部に宿る(足趾の操法を考える)

久しぶりに新刊を読みました。

大嶋先生の本はほとんどチェックしていますが、これは「朝のルーティンワーク」について書かれた本です。

この中で「どんどん魅力的な自分に変わっていくスイッチ」というのがあり、一体どういうことをやるのか?と読んでみると、毎朝「神は細部に宿る」と思いながら、かかとをやさしくマッサージするということなのです。

 

これは「人があまり注目しないところ(細部)をケアすることが、自分の心と体に変化をもたらす」という話です。

 

たまに、足趾の操法®を受けた後に「こんなところをここまで丁寧にやってもらったことはありません」とおっしゃる方がいらっしゃいます。

 

「見えるところはきれいに繕っているけれど、細部に関してはいい加減になってしまいがちで、それが自分の気持ちにマイナスに作用する」

 

これを解決するのが「かかとを優しくマッサージする」(足の指でもいいんですが)

ことなんです。

 

よく、きれいなネイルをしている方がいらっしゃいます。

あれ、実は他者に見せて装うというよりも、自分の気持ちが「アガる」のです。

 

ネイルの「アゲアゲ効果」はすごいもので、私は女子ならずもネイル経験者男性数名にリサーチしてみましたが、ネイルもそうですが、ピカピカに磨いてもらっただけでも、かなり「アガる」とのことでした。

 

 

ここで例に挙がっている女性は「無駄なことはしない」タイプで、常に「損か得か」ということを考えており「損をするようなことは致しません!」的な行動をとっていました(大門未知子ならともかく、という感じです)。

 

これ、操体を勉強していると痛感するのですが(ビジネスなどはもちろん損得勘定も大事ですが)、自分の人生を「損か得か」「正しいか正しくないか」「好きか嫌いか(快か不快か)の、どれで生きるかによって、かなり変わってきます。

 

橋本敬三先生いうところの「息食動想」の「想」ですが、一番定義しにくい部分です。

 

というのは、いつも講義でも言っていますが「明るくおおらかに生きましょう」と言っても、それができなくて困っている人が多いのと、私の経験から言うと「明るくおおらかに生きましょう」と言っている人ほど「明るくもおおらかでもない」ことが多いんです。

 

橋本敬三先生は「言葉は運命のハンドル」とおっしゃっていますが、これは言葉の指向性によって運命が変わるということです。我々にできることは、無理に明るくおおらかに振る舞ったりすることではなく(明るくておおらかな表面の奥深くに、怒りという感情が潜んでいるということは、よくあることです)、まず、言葉をコントロールしなさい、ということなんです。

 

この女性、損することはしない!と決めているのに、定期的に体調が悪くなるので「朝のルーティン」に「かかとのマッサージ」を試してみたそうなんです。

そうすると、自分のかかとって、こんなに固かった?とか、足の裏がこんなに固かった?と気がついたり、意外と気持ちよかったりして、毎日のルーティンになります。

 

そうすると「無駄だと思っていたこと」にも意外と意味を感じられるようになってきて、無駄なことをやっているのに、体調が整ってきた、ということなんだそうです。

 

これは、足趾の操法の「神は細部に宿る」(人があまり注目しないようなからだの部分をケアする)に、通じるものがあります。

 

★見る側は「簡単そうにやってるじゃん」と思いますが、実際にやってみると全くできないのが、足趾の操法なんです(この辺りが「神は細部に宿る的」です)。