今日は時間がとれたので、駒場公園内にある、日本近代文学館に行ってきました。
駒場公園の中には、旧前田侯爵邸と、日本近代文学館があります。
前に来た時も「アダム」案件でしたっけ。
「アダム」とは、操体の創始者、橋本敬三先生が、新潟医専時代に、同級生だった式場隆三郎先生と活動していた同人誌です。
(山下清や、草間弥生を見い出し、日本で最初の近代的精神病院を設立、「医家藝術」の初代会長。精神科医であり、芸術探求者)
秋晴れの良い天気です。
先日、式場隆三郎回顧展の図録を買ったのですが、その中に、若き日の橋本敬三先生が参加していた「アダム社」と、冊子「アダム」について、なかなか詳しい説明が載っていたのです。
勿論、橋本先生についての記載があります。
私は第一期くらいまでしかチェックしていなかったのですが、実は新潟医専でメンバーが卒業後、2年経ってから式場氏が東京で再度「アダム」をを発行しており、その時の参加メンバーに、橋本敬三先生が加わっているのです。
図録には、新潟医専卒業後「橋本は兵役に就いた」という記載があります。
東京で活動を再開した「アダム」に、橋本先生は遠方から参加した状態だったようですが「兵役について、自分は恐ろしく堕落した」というような、かなり悩み深い文章を書いています。新潟で一緒にやった仲間が、東京集って活動再開したのですから、もちろん東京に行きたかったのかもしれません。
時期的に「救いと報い事件」以降の話です。
無名の牧師との出会いと天啓以降も、やはり悩める青年は、悩んでいたようです。
11月23日の「2021年秋季東京操体フォーラム」では、この辺りのことを少しお伝えする予定です。