昨日は午前中は施術会、午後は操体法東京研究会の定例講習でした。
実技指導はやはり勉強になります。
昨日は被験者が腰掛位(足は浮いている)、操者は前方に立って立位。
もう一つは、被験者が腰掛位で、操者は後ろから手に介助というスタンスです。
こうやって考えてみると、第一分析(橋本敬三先生の時代の動診操法。対になった動きを比較対称し、やりやすい方を操法の方向とし、瞬間急速脱力に導く)時代というのは、仰臥膝二分の一屈曲位とか、腰掛け位で手を頭の後ろで組んで上体を捻転させるとか「腰」を捻転させるものや、足関節の背屈など、下肢へのアプローチが多かったように思えます。
足関節の背屈、膝の左右傾倒、下肢全体の押し込み、仰臥での膝関節腋窩挙上など、いわゆる、よく知られているものは、ほぼ腰や下肢へのアプローチが殆どです。
★橋本敬三先生は「四十肩五十肩は、足首の操作で治る」というようなことを書かれていますが、これを本当に理解している人、それを実践している人が、果たして何人いるのでしょうか。
これは、足首を操作すると「全身が連動する」という仕組みを理解している必要があります。
単に「つま先を上げて落とす」だけではありません。
つま先を上げて落としただけでは、全身形態は連動しないからです。
連動させるには、介助補助(抵抗ではありません。抵抗を与えると、動きがストップします)や、言葉の誘導が必要です。
言葉の誘導と言えば、呪術廻戦の呪言師、狗巻 棘(いぬまき とげ)君を思い出します(って私だけ?)。いつも口を隠していて、おにぎりの具の名前で会話する人です。あれは、むやみに声を発して人を傷付けないためなんですよね~。
で、主人公の虎杖 悠仁 (いたどり ゆうじ)は、仙台の杉沢第三高校に通ってたんですよね。アニメの一話か二話で、五条先生が「萩の月」食べてたりしたし、コミック版の「0巻」を読むと、シャッター街となった「ハピナ商店街」とか出てくるので、仙台縁者としてはなんだか嬉しい限りです。
蛇足ですが、
昨日の講習で、先生が「○○、△△。」という言葉の誘導を、受講生が
「○○が、△△。」と「が」を入れていました。先輩に何度も注意されていました。
「が」のあるなしくらい、どうでもいいだろう、と思ったら、大間違いです。
というか、きめ細やかに、綿密な操体臨床を行う(つまり、被験者の「からだ」と対話する)には、それくらいの細やかさが必要なのです。
「『が』の有る無しなんてどうでもいいじゃん」という人もいます。
それは、ある程度、例えば「守破離」で言えば。「離」レベルの人ならば言ってもいいかもしれません。が、どうでもよくないというのが、本当です。
(言葉のすごさを知らないのです)
第二分析以降は、手関節および上肢へのアプローチが増えてきました。
足関節や下肢から全身形態の連動を促すには、手首前腕上肢のほうが、やりやすいのかな、と思います。
例えば「万病を治せる妙療法」を見ても、上肢にアプローチしているものは、あまりありませんし、手掌そのものに介助補助を与えているものは、殆ど見当たりません。
手首前腕上肢へのアプローチの利点は、被験者が座ったまま、あるいは立ったままでも動診操法が可能なことです。
立てない、座れない場合は別として、立てるか腰掛けることができれば、動診操法が可能になったのです。
これは、操体実践者としては、大変ありがたいことです。
★膝関節腋窩挙上時、下肢からの連動ではなく、からだの中心腰からの連動を促す場合の、足首への介助。