最初に。
ここでは「比較対照する」と「比較対称」を使い分けています。
前者は動診とか、左右を比べるアクション。
後者は、左右が対称であるということです。
今朝は内輪の施術会がありました。
いらっしゃった方は、先日注射の後腕が上がらなくなった(それを操体の逆モーションと圧痛点によってインスタント施術した)方です。
その後腕の調子はどうですか、と聞いてみると、右手は後ろに回してもこれだけ上がるけど、左はそんなに上がらない。でも、以前(施術前)より10センチ上がるので、エプロンのボタンをかけるには問題無し」とのことでした。
この、左右比較対照というのは、我々操体実践者も「第一分析」では使ってきましたし、整体とか行けば「こっちの脚のほうが長い」みたいに言われます。
実際私も昔は脚の長さとか使っていました。
しかし、ある時師匠三浦寛先生が、利き手利き足、利き目があるのに、何故般若身経(操体で言う、からだの使い方、動かし方の基本)では、左右対照なんだろう、とい疑問を抱き、右利き用、左利き用の般若身経のやり方を考案しました。
その後もうかなり経ちますが、結果的には、右利きであろうが左利きであろうが、軸は同じであることがわかりました。
例を挙げると、落ちているモノを拾う場合、旧来は「右手でモノを拾う時は、左足を半歩前に出して拾う」というのがあります。
これ、ぎっくり腰の原因になりやすい動きです。
私も昔は(20年以上前)、右手でモノを拾う時左足を前に出すなら、左でモノを拾う時は、右足を前に出すのか?と思っていました。
操体法東京研究会でも2005年くらいまでは、右利きと左利きを分けていましたが、色々調べてみた結果
「モノを拾う際は、右手で拾おうと左手で拾おうと、左足を半歩前に出し、左足の母趾球を支点にして拾う」のがベストであると分かりました。
つまり、利き手がどちらであろうと、モノを拾うアクションを起こす際は、左脚を少し前に出して左脚母趾球を支点にするということです(概略を書いてあります)。
その後私なりにも色々考えてみたのですが、そもそも「自然界にシンメトリーはない」というのが、自然法則の一つです。
左右完全対称というのは、自然界には存在しないのです。
例えば人体にせよ、内臓は左右対称ではありません。
心臓は左寄り(中央より一寸左に渦を巻いている)、肺は左右違う。腎臓の位置も違う。肝臓は右だし、膵臓は左、など。
私が実感するのは、目の大きさが(横幅)が左右違うよね、ということです。
つけまつげとかつけると分かりますが、左右で5ミリくらい違う。
試しにヨガの「牛の顔のポーズ(牛のポーズ)」の腕だけを試してみて下さい。これは両手を背中でつなぐ(片方は上から、もう片方は下から)ものですが、左右差があるはずです。
私は右腕を上にすると、両手を繋げますが、左手を上にすると繋げません。
現場にいた数人に試してもらいましたが、やはり左右差があります。
こういう状況を「左右差があって歪んでいるので、左右対称になるまで息を吐きながらやる」的なことをやってきたわけです。
確かに、顔とか足の長さとか、あまりに左右差があると問題があることは確かですが、人体、内臓からして左右対称ではないし、利き手・利き足・利き目・利き鼻腔?・利き耳など、二つあるものは、どちらが先か優先順位がついています。
特に目は、利き目がないと、正面からモノが飛んできた場合、避けられない(顔面直撃して死に至る)可能性があるので、避けられるように利き目ができたと言われています。
そして、脳も「利き脳」があると言われています(ハーマンモデルなど)。
左脳優位とか右脳優位があるのです。
http://chikaku-navi.com/harman/
そしてこれは、東京操体フォーラムの日下先生(ヨガの達人)から聞いたことですが、古典では、チャクラの位置が頭頂から会陰まで一直線ではなく、腹部のマニプラ・チャクラなどが左にずれているのがあるそうです。
多分「左右対称」というのは、施術者や指導者などが、説明するのにラクだったからなのかもしれません。
そして「骨盤が歪んでいる」というのはよく聞きますが、生活や健康に問題がない範囲の左右非対称(歪みとは言わないでおきます)は、「不自然の自然」(これ、操体用語です)でいいのです。