TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。
橋本敬三先生の書籍の帯に「快を探る」というのがありますが、あれは
「快の本質を探究する」という意味であり、
「快を探って色々動いてみる」というわけではありませんからね。これを勘違いしている人がいそうなんですが、これ、大事です。
最近フォーラムでは「教えて!三浦先生」というコーナーを設けています。
参加者からの質問に三浦寛先生が答えるというものですが、参加者からの質問を読んでいると、共通点があることがわかりました。
それは「操体における『快』」を語っているのではなく、今までのご自身の経験から導かれる「快」で操体を考えているのではなかろうか、ということです。
なお、今日ふと気がついたら、「理趣経」の解説本が目に入りました。
私も一昨年、仏教塾の「真言宗」の修行に参加しました。
いえ、ご祈祷系曹洞宗が好きなのと、豊川稲荷(お寺です)や、伊豆の修禅寺、今は曹洞宗だけど、昔は真言宗、というのもあり「阿・吽」好きだし、春と秋の結縁灌頂も参加したくらい結構お大師様好きなんですよ。
さて、なぜ理趣経を思い出したかというと、このお経「人間が肉体的に持つ五欲は、悟りの立場からみれば清浄である」というものです。つまり、性欲を清浄である、と肯定しているのです(超端折ってます)。なので、知識の浅い者が勘違いすることがないように読める人を限定したり、聞いても分からないように漢音で読んだりしているんです。
「きもちよさ」という言葉も、操体の理論をきちんと勉強していない人がいい加減にやったりすると、勘違いして暴走することがあるのです。
しかし、きもちよさ、という言葉はインパクトがあります。
現在操体に興味を持つ人の殆どは「楽」じゃなくて「快」に興味を持ちます。
よくある勘違いは、般若身経の形を勉強しているのに(型を学んでいる)、そこで楽とか快とか、感覚を持ち込む人がいます。これが混乱の元です。
「快」を早くやりたい気持ちはわかるけど、まずは「感覚」は置いといて、型を完全にマスターしてからです。
そして操体臨床の独特な言葉遣いですが、最近、この辺り、現代催眠系とかなり似ているのではないかと考えています。
また、実は言葉の誘導も「型」があります。
一字一句完コピです。これが「守」。私もそうでしたし、受講生の方は「そうだよね」と、遠い目になってもらってもいいんですが、完コピです。
ヘンなことを言うと、先輩から丁寧に注意されます。
この、言葉の誘導を2年以上かけて習うわけなのです。
おおよそ、最初の2年くらいで、それまでのからだの使い方のクセとか、言葉の使い方のクセを直すんです。
私はもう20数年三浦先生の元で勉強していますが、最初は完コピです。
ノートに書き写してトイレや風呂でも練習していた記憶があります。
その後ですが、自然に「被験者」にではなく「被験者のからだ」に問いかける話法をマスターしました。
これは「あれ?できてる」という感じです。
そしてとっても気になるのが。
「きもちよさがでてくる」という言い方です。我々は言いません。
前提ですが、我々は「からだ」を主語にして文脈を組み立てています。
「からだ」を主語にしていると、「きもちよさが出てくる」という文脈にはなりません。
主語は「からだ」です。
からだに、きもちのよさをききわけるのです。
普通の治療法では、先生と患者という二対一になりますが、操体は、先生(操者。役目はコンサルタント)、患者自身、からだ、という3つが登場します。
これは、操体のかなり大きな特徴であり、整体とは違うところです。
長くなりましたが、三浦先生に寄せられた質問に私が答えるという?
ヘンなコーナーです。
質問
①きもちよさを追求していけば、連動した自然の動きは出てくるものでしょうか?
①ですが「きもちよさを追求」というのは、言い方を変えれば「きもちよさを探す」ということになるかと思います。後半の文章から判断しました。
★動きが出る、とかきもちよさが出る、という言い方はしません。
きもちのよさは、からだがききわけるもの、なのです。 どこかからプワーンと出てくるものではありません。
連動した自然の動き、とありますが、三浦先生が本に書かれた連動は、
連動した自然の動き、という言い方ではなく「自然な連動」あるいは「不自然な連動」
という言い方をします。
自然な連動、というのは、ボディに歪みがなく、設計図通りの自然な連動が起こること。不自然な連動、とはボディに歪みがあるため、自然な連動が起こらないことを言います。
①きもちよさを追求していけば、連動した自然の動きは出てくるものでしょうか?
答え。出てきません。順番が逆です。「自然な連動」つまり動診が先です。
★操体では、動診が必ず先です。
- 被験者に末端関節からの「自然な連動」を介助補助を与えながら、ゆっくり表現してもらいます。
- 全身形態が連動してきたら、からだによくききわけて快適感覚の有無をききわけます。
ご質問内容の意図はわかるのですが、順番が逆だということです。
また、快が必ずある、とは限りません。ためしてみないと、わからないのです。
なので、動診(自然な連動の型をもとにすることが多い)をして「快適感覚の有無をききわける」のです。
無い場合もあるんです。
快は、探さない
快は、動診を試してみて、有る無しをからだにききわける。
(無い場合もある)というのが基本です。