操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

1983問題

1983年というのは、操体を学ぶ人間にとっては覚えておかねばならない「転機」の年である。この年は橋本敬三医師が現役を引退し、今先生が代診を担当したのだ。



何度も書いているが、この時、操体が明らかに「楽」、あるいは「楽」と「きもちよさ」が混在して混乱していた時代から「快適感覚」の追求にシフトしたのである。(御年86歳)



この後、橋本先生は「楽と快はちがう」「呼吸は自然呼吸でいい(何故なら、呼吸に意識が行くと感覚をききわけにくくなるから)」「動きより、感覚の勉強をしなさい」というような言葉を近しい弟子に残している。



この結論に達するまで、橋本先生の中で「楽」と「きもちよさ」の違いはわかっていらっしゃったのだと思うが『何故、どうして違うのか』ということを書き残されていない。



★橋本先生の著書には1983年以降に出されたものもあるが、全て書き下ろしではなく、1983年以前に寄稿あるいは雑誌に連載されていたものをまとめたものである。



先日「イサキ」という小冊子を見ると橋本先生の文章が載っていた。「バランスがとれているから何をやっても気持ちいい」というようなことが書かれていた。って、これは私が先日書いた文章とは全く正反対のことではないか(笑)



しかし、別の本を見ると「いつまでも気持ちいいのは異常な証拠である」という記載もある。どちらが先なのかわからないが、先輩二人(三浦先生と今先生)が、「気持ちよさというのは、バランスが取れる前の一時的な現象」と言われているのと、実際、奈バランスがとれていると何をやっても何ともない(楽)」という感じがあるのと、この場合はバランスがとれている、健康的な爽快感を指しているのではなかろうかと推測する)。



思うにこれは、いつだかわからないが、1983年以前(つまり、橋本敬三先生ご自身も「楽」と「快」の違いがわかっていながら混同している時期の言葉ではなかろうかと思われる。(言葉では「きもちよく」と言いながら、実際は楽な動きを通していた時代があったのだ)



もしくは、『楽』の中にもきもちよさに繋がる『楽』もあるということ、

(その反対で『きもちよさ』に繋がらない『楽』もあるのだが)

我々は『楽』にも二つ種類があることを留意すべきなのだ。



★「楽」には「快」に質的変化する「楽」とそうでない「楽」がある(そのようなケースのほうが多いと思う)。









ちなみに「快適感覚」という言葉が出てくるのは、橋本先生が函館時代、マストから落ちて頭蓋骨陥没した船員を診た時、陥没したのと反対方向を押すと気持ちいいというので「それなら押してやれ」ということで押していると、陥没した箇所が盛り上がってきた、という症例である。



これは「きもちいいことすればよくなる」という操体の考え方の基本になるものだと思うのだが、

きもちいいことすればいい、という一つの選択肢を示している。

ここに、正体術の「可動域の大きい方に動かして(動かし易いほう)」という考え(二者択一)が

混在したのだと思う。