10月31日(土)11月1日(日)の2日間、
新潟で「第32回全国操体バランス運動研究会」が
開催されました。
今回は、来春早々NYに帰国する
東京操体フォーラム実行委員の、グレゴリー・ローゼン君に
一度全国大会を体験させて、その後仙台へお墓参りに行くぞ
という弾丸ツアーでした。
というわけで、
10月31日(土)、東京駅で集合した
三浦先生、グレさん、畠山の三人は、
上越新幹線「とき」に乗って新潟へ向かったのでした。
さて、全国操体バランス運動研究会というのは
橋本敬三先生ご存命時は「臨床的」なことをやっていたのですが、
最近は「生活に活かす操体」になっているようです。
参加している方の多くは、
臨床家とか治療家というよりは、地域で操体をやっている
方々がメインです。
今回気になったのは、やはり若い人が圧倒的に少ないこと、
「50代が若手」という言葉を聞いて「へ??」と思ったことなどです。
以下、私の感想
(実際にアンケートの感想として送信したものを公開致します)
第32回全国操体バランス運動研究会アンケート
研究会一日目のみの参加。
今回は、日本で操体を5年間学び、来年アメリカに帰国するメンバー(グレゴリー・ローゼン)を連れて参加しました。
ローゼンと私は三浦寛先生の著書を英訳しておりましたが、推敲に推敲を重ね、出版に向けて精進しております。なお、ローゼンは米国での操体の広まり方についても研究しております。
★今回様々な地域で指導されている般若身経を見て、
「いろんなやり方がある」というのは当然ではありますが、
橋本敬三先生が書かれていることから結構外れている、というか、健康な人が健康維持増進のためにやっても、これは体に負担をかけるのではないか(特に年配者がやると心配)というものをいくつか見かけました。それも踏まえてですが、
「ご当地般若身経」というのを、様々なエリアから募集し、
ポイントを押さえているか(例えばつま先とかかとは平行であるとか、
膝をゆるめるとか、重心が移動するとか)というのを、客観的にチェックするとういうのはどうでしょう。★現在の全国大会では「客観的なチェック」「操体の向上のための議論」が抜けているように思えます。
★新潟の土地柄なのでしょうか。般若身経指導時に「頑張って」「我慢して」という言葉を多数聞きました。
「頑張るな、威張るな、欲張るな、縛るな」という「バルの戒め」が伝わっていないのでしょうか。これは、グレゴリーもとても気になると言っていました。
★研究発表で、北田先生からポルトガルでの操体のセミナーについての発表がありました。日本と海外の違いを伝えていただきました(特にスペイン、ポルトガル辺りでは、テクニックに対して非常に貪欲です。セミナーに参加するメンバーは、ほぼ指圧師で、一般の人が健康に活かそうという感じではありません)。
一つ、非常に気になったのは
「これからの操体普及に対して」というスライドです。
目標「操体の専門家」の育成1.施術者、臨床家にあらず
2.操体の基本理念を伝える人
などがありましたが、1の「施術者、臨床家にあらず」という意味がよくわかりません。
私の理解している「操体の臨床家」(つまり、操体のプロ)とは
違うのでしょうか。
この表現であると、実際に白衣を着て患者様の治療に
あたっており、それで生計を立てていた
橋本敬三先生を否定することになるのではないでしょうか。
なお、この場合の「臨床家」というのが、操体の理念などを知らずに
単にテクニックに走っている輩、というのであれば理解できますが、
そうでなければ、操体で生業を立てている
我々操体のプロに対しても失礼です。
操体のプロは「自分のケアでは間に合わない」人のために、
自力自療が叶うまで、健康の度合いを上げるための
手伝いをしますし、健康体操としての操体の指導もできますし
からだについてもしっかり勉強しています。
今の操体の現状をみると、私は「楊明時式太極拳」を思い出します。
現在、楊明時式は幅広く広がっており、サークル的な広まりは、操体法のサークル活動などによく似ています。
楊明時氏は、日本で太極拳を広めるためには「健康太極拳」として広めることを決意し、年配者にも簡単にできるようにアレンジしました。
しかし楊明時氏自身は、武術としての太極拳と、健康体操としての太極拳はしっかり区別なさっていたそうです。
そして、プロフェッショナルは、武術としての太極拳と、健康体操としての太極拳のどちらも指導できるということです。
先の北田先生のスライドの「1.施術者、臨床家にあらず」だと、
本来は医師が臨床の場で、間に合っていない人を間に合うように、
自力自療が叶うまでサポートする立場であった操体を
否定しているように感じます。
この件に関しては2000年仙台の全国大会の基調講演で、
大学の先生が「操体でお金を貰っちゃいけない」という
発言をして現場にいた臨床家がブーイングしたことを
思い出します。大学の先生は、出張するにも大学から旅費交通費などは出ますし、
大学から給料を貰っているので、別に操体の臨床でお金を
いただかなくてもいいわけです。
また、2002年か3年の長野大会でも、参加していたサークルの女性が
「操体でお金もらっちゃいけないのよね」と言っていましたし、
昨年の6月、三浦先生が大阪で講義をした際、神戸のWさんが
「操体って安いものだと思っていました」とおっしゃっていました。Wさんは、接骨院をなさっていて、他の治療法もやっておられるので、操体以外からも収益があるかと思います。
「操体に対する対価」を否定(お金を貰うなとか操体は安いとか、
東京の操体の講習は高いという方々)は、操体以外に
収入の道がある方ばかりだと察しております。
この件に関して
・ 臨床を否定することは、橋本敬三先生を否定することにはならないのか
・ 臨床家の定義(北田先生の定義と畠山の定義)は違うのか
★操体のプロの役目は操体の理念を理解し「間に合っていない(自力自療が叶わない)人を間に合うレベルにまでサポートし、間に合うようになったらセルフケアを指導すること、と認識している
★ 間に合っている人へのセルフケアと、間に合っていない、
自力自療が叶わない人へのサポートの区別がついていないように
思えるがどうなのかとういことは、ご説明いただきたいと思います。
当方、一般社団法人日本操体指導者協会では、
操体のプロの地位向上を目指していますので、
よろしくお願い致します。
同席していた、当方のグレゴリー・ローゼンは、
Oさんの発表が一番納得できたと言っておりましたが、
私も同感です。
若い後継者の育成が今の最重要課題でありますが、
ここ10数年の全国大会参加者を見ると、超高齢化が進んでいます。
「50代が若手」という話にも驚きました。実際、今現在のように、サークルや愛好会のボランティアと
いうやり方では、若い人には操体が魅力的に映りません。
悪く言えば「年寄りのサークル活動」です。または専業主婦や、
定職を持っている人が、片手間にボランティアで健康体操を
指導している、というように見えます。
★これが悪いとは、決して言いませんが、
後継者の育成にはかなり魅力不足です。
ある程度「操体を学べば、経済的に効果(収入が得られる)」
というアピールが重要ですし、操体の可能性
(実際に素晴らしい可能性があります)を知り、
自分もこういうことができるようなる、
というモチベーションも必要です。そして、若い人向けには
「間に合っている人向けの健康体操・養生法」としての操体と、
元々医師が臨床でやっており、
「間に合っていない(自力自療が不可能)方々」の健康の度合いを、
自力自療で叶うところまで引き上げるお手伝いをする、操体のプロとしての両方の面を見せる必要があります。
これから何かを得たいという若い人にとっては、
後者のほうが魅力的に写るのは当然です。
と、長々と書きましたが、
今の全国大会の状況では、若い人が「操体を仕事にしよう」とか
「ライフワークにしよう」という気持ちにさせるのは難しいかと思います。
東京操体フォーラムおよび一般社団法人日本操体指導者協会では、
若手操体指導者育成(臨床のみならず、息食動想の全てや、
マナー、師弟関係、操体の文化的バックグラウンドについての理解、
文化、芸術との交流、文章の書き方)を行っています。
皆若いですが、人前でプレゼンする練習や、
口頭のみの指導ができるなど、相当の勉強を積んでいます。
彼らが若い人に操体を魅力的に伝える
「エヴァンジェリスト(伝道者)」になって
くれるといいなと思います。
★「施術者、臨床家にあらず」というのは納得出来ません。
これは「臨床のみで、操体の理論などを全く知らない人」という意味
でしょうか。それでしたら、それを書いていただかないと、
実際に操体の臨床を行っていた、橋本敬三先生を否定することに
なりますし、現在操体専門で開業している先生方を否定することになります。
★また、操体は自力自療だから「臨床家はいらない」という人も居ますが、
自力自療が叶わないほど健康の度合いが落ちている方に対して、
自力自療できるまでサポートするのは、操体のプロの役目です。