操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体の「施術+ベーシック講習」の詳細

こんにちは。

TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

操体の施術+ベーシック講習の特設ページを作りました。

 

www.teizan.com

操体の施術+ベーシック講習 | 操体法 TEI-ZAN操体医科学研究所

 

最近気がついたことがあります。

「施術+ベーシック講習」では、受講者の方に「楽と快の違い」を体感して頂けるのに、何故「東京操体フォーラム」で講義を行ってもなかなか伝わらないのか?

 

それは、やはり『聞いてるだけ・見てるだけ』と、実際に体験したのとでは、全く違うからだな、と感じています。

 

「体験してから」「見る」ならば、よくわかるのでは。

 

実際に「操体における快」を味わう前に、頭で「今まで自分が経験したことのある快・きもちよさ」で、妄想というか想像することになるんでしょう。

 

特に「快」「きもちよさ」は「本人・からだにしかわからない感覚」を扱うので、実際に味わってみないとわからないのですね。

 

私自身もやはり、実際に「操体における快」を味わって「なるほど」と腑に落ちた経験があります。

 

というわけで「想像するよりも、体験してみよう」というお話です。

 

この体験した内容も人それぞれだったりするのですね。

 

我々は「左脳とばし」というワザを持っています。文字通り、理性を司る左脳を「ふっとばして」感覚優位の右脳を活かすものです。

(操者が二人いないとできないワザです)

 

操体の施術+ベーシック講習」のご案内と詳細

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施術+ベーシック講習 | 操体法の講習 | 操体法 TEI-ZAN操体医科学研究所

 

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操体の施術と基本

 

操体の基本(セルフケア)をマスターしたければ、この講習が最適です。
(最新最速も叶えます)

 

この講座をオススメする人

勿論、操体でセルフケアしたい人、元気で健康に暮らしたい、と言うのが原則ですが、一般の方、専業者問いません。

操体に興味があるけれど、どこから手を付ければいいのか分からない人
・本を読んだり動画をみてもわからなかった人
操体の講習を受けたり施術を受けたりしてもよくわからなかった人

 

★一般の方

  • セルフケアを習得したい
  • 自分のからだをもっと知りたい
  • 姿勢をよくしたい
  • 生活のなかで操体を活かしたい
  • きもちよく治る、とはどういうことなのか知りたい
  • 操体関係の本を読んでもやり方がよくわからない

 

★治療家・臨床家の方

  • 操体における「快」の定義を知りたい
  • 操体の基礎を知りたい
  • セルフケアを習得したい(自分のメンテナンスをしたい)
  • 本を読んでもやり方がわからない
  • 患者様が動いてくれない(一番多い悩みです)
  • 「楽」と「きもちよさ」の違いを知りたい
  • 第1分析、第2分析、第3分析の違いが知りたい、体験したい

 

2002年に開講

2002年に開講以来、当方で一番人気のプログラムです。

  • 操体を実際に受けて頂く(操体の施術)、セルフケアのレクチャー(ベーシック講習)と「操体を受ける」+「学べる」が一つになった唯一の講座です。
  • 操体法東京研究会の定例講習を受ける前に受講される方も多数
  • 個人レッスンなので、その方のレベルに合わせたレッスンが可能です。

 

操体に興味を持ったけれど、こんなお悩みはありませんか?

 

  • 操体でセルフケアしたい、自分の健康は自分で管理したい。そう思って操体の本を買ったり、動画を見たりしても今一つ【本当にこれでいいの?】という疑問が湧く。
  • 「きもちよさ」というキーワードにひっかかる。「きもちのよさ」ってどういうこと?そこに引っかかってしまう。また、実際に本を読んでやってみても「きもちよさ」に納得できない
  • 操体を付けて、きもちのよさを感じられないのに、先生に「きもちいいですか?」と、何度も何度も先生に聞かれ、いやになった。
  • 操体を受けてみたけれど「きもちのよさ」というのがわからない。自分は操体を受ける素質がないのかな?と悩んだりする。

 

操体操体法について

 

操体操体法には、独自の「ボディの歪み」に関する考え方や、「病気になる順番と治る順番」があります(西洋医学とは真逆)。また、独自の言葉などもあります。整体や他の療法の常識で考えには当てはまらないこともあります。

 

また、多くの方が引っかかるのが「きもちのよさ」問題ですが、これが解決すると、操体の基本の9割は解決したも同然です。

 

これらを踏まえて、実際に体験していいただくことにより、それぞれのご希望に沿ったプログラムを提供いたします。

 

また、操体の基礎をマスターするには順番があります。
独学で壁に当たるのは、この順番を間違えていることが多いのですが、経験と、どこで壁にあたるか熟知した講師が、ご希望に合わせてレッスンいたします。
また、実際に体験していただくと「全く違うことがわかりました」というお声を頂いています。

そうなると、未病医学としてのセルフケアが可能になります。

 

難所「快適感覚」

今でこそ操体法は「快適感覚・きもちのよさ」というキーワードで語られていますが、操体法の本で一番売れていると思われる「万病を治せる妙療法」の時代は、そうではありませんでした。

 

当時行われていた操体法は「どちらに動かすと楽ですか、辛いですか」と、二者択一の動診(動かして診るという操体独自の診断法)を行い、楽な方向に動かして、可動域極限で動きをたわめ、数秒の後に瞬間急速脱力し、それを2回~3回くり返し、再動診を行い、操法前とどう変わったか確認するというものでした。

 

これを、操体法東京研究会三浦寛先生は「第一分析」と命名しています。

 

中には「キモチイイ方に逃げる」というような記述もありますし、確実にきもちよさを味わえるであろうという動きを取らせ(脊柱伸展など)、脱力させるものもあります。ただ、きもちよさに関する動診は「一方向」です。


そして、橋本敬三医師自身も、昭和50年代(70代)には、まだ「楽と快の区別」をはっきりつけていませんでした。

著書にも「やりやすい方(快適運動)」と書いてあるところもあります。「きもちいい楽な方」という記載もあります。

 

それが、85歳で現役を引退した際と、90歳の卒寿のお祝いの時には「楽と快は違う」と明言しています。

 

残念なことに、橋本敬三医師が「楽と快は違う」とおっしゃったことは、一般の書籍には書かれていません。

 

操体に興味のある方はほぼ「きもちよさでなおる」「ひとりでできる」という言葉に興味を持つのだと思いますが、一番売れていると思われる「万病」の時代は、まだ「きもちよさ」をききわけ味わう「第二分析」はまだ存在していないのです。

 

以前「万病を治せる妙療法」の出版社の編集の方に聞いたところ、ここでは新入社員研修で操体をやるそうなのです。


私が「操体におけるきもちのよさってわかります?」ときいたところ、
「実を言うとわかりません」と言っていました。
「私がレクチャーしましょうか?」と聞いたところ担当の方は
「いえ。本を読んで学習します」と言っていました。

 

というものの「万病」書かれている動診操法は、99パーセントが「楽か辛いか」「違和感があるかないか」という第一分析です。

 

やり方も第一分析と第二分析とでは異なります。


第一分析のやり方を試しても、「きもちよさ」は聞き分けられません。


何故ならば、第一分析は「楽か辛いか」「スムースか違和感があるか」という二者択一の分析法だからです。

 

そもそも、違和感があるかスムースで楽でなんともないか、という運動分析(可動域の分析でもいい)を行っているのに「どちらがキモチイイか」という感覚分析を持ち込んでもわかるわけがないのです。

 

「きもちよさが感じられない動き」いくらやってみても、きもちよさにはならないということです。

 

きもちよさは「どちらがきもちいいか」ではなく「この動きにきもちのよさがききわけられますか?」というように一方向(絶対的なスケール)で診断します。

 

文章に書くと長くなるので、この辺りでやめておきますが「きもちのよさ」の扱い方が操体のキモであり、また、その扱い方を実践しているのが「第二分析」です。

 

もし、あなたが「きもちのよさ」で引っかかっているのであれば、そこをお伝えします。

 

また、この「第二分析」を指導しているのは「操体法東京研究会」だけです。または、操体法東京研究会の出身者で構成している、一般社団法人日本操体指導者協会の指導者が行っている講習のみになります。

 

また、以前関西の操体愛好者のグループ向けに、三浦寛先生が講習を行ったことがありました。

 

★関西地方では、操体はサークルや愛好会で行っているところが多いですが、関東以北は、橋本敬三先生にならい、手技療法家が行う施術として、専門家がやっているところが多いのが特徴です。

 

私も随行しましたが、三浦先生が


「どちらが楽で辛いかわかる人、教えて」と言ったところ、会場にいた多くのマダム達が挙手しました(100名以上)。

 

次に「きもちよさがわかる人」と聞いたところ、挙手したのは、私が見たところ、数名でした。

 

これらの皆さんは「操体ってきもちいいですよね」と言いつつも、実際には「楽か辛いか」はわかるけれども、「きもちよさ」はわかっていないことがよくわかりました。

 

 

これは、一般の操体を知らない皆さんではなく、サークルや「●●操体の会」という名称で活動している、操体を愛している皆さんです。

 

それだけ操体をやり込み、愛してくださっている皆様でさえ、こんな状態なのです。言葉では「操体ってきもちよさですよね」と言いつつ、実際は「楽か辛いかはわかるけど、きもちのよさは、よくわからない」ということなのです。

 

また、これも聞いた話ですが、操体を受け、指導者に「きもちいいですか」(我々はこんな不躾な聞き方はしません)と聞かれても、わからない場合が殆どなのと、先生に悪いので、適当に答えている(!)ということもあるようです。
実際、私のクライアント数名からも同じ話を聞いているのです。

 

操体法東京研究会

www.sotai-miura.com

 

操体法東京研究会は、1978年、三浦寛先生によって設立されました。

 

操体の専門家育成のための講習です。

 

なお、この講習に参加する前に「施術➕ベーシック講習」を受けられる方も多いです(畠山は操体法東京研究会の定例講習でサブ講師もしています)。


顧問は操体創始者橋本敬三先生です。先生は祖神の里に行かれましたが、引退はなさっていないので、現在はあちらから「名誉顧問」として、操体の発展と深化を見守ってくださっています。橋本敬三先生が顧問をなさっていたのは、操体法東京研究会のみですし、現在活躍されている操体の専門家の先生方は、ほぼ「操体法東京研究会」の出身者です。

 

橋本敬三先生の「きもちのよさで良くなる」という言葉と「楽と快は違う」という言葉を元に、5年の歳月をかけて「きもちのよさの有無を聞き分け味わう動診と操法」を体系づけた、橋本敬三先生の一番弟子、三浦寛先生の理論と実技をしっかり学びます。

なお、これらの講習は、操体のプロを目指すための講習ですが、プロは「被験者に操体を指導する方法」と「個人のセルフケアのための方法」の両方を行うことが可能です。

 

わたくし、畠山裕美は、1996年に操体専門で開業、2002年から操体法東京研究会のサブ講師、代講として講習に携わっています。


操体法東京兼休会の補講として操体独自の「視診触診講座」「足趾の操法講座」を担当しています。

 

また、スペインで何度か操体の講習をやっておりますが、その際も三浦先生に随行、講師として指導にあたっており、2006年には、共著「操体法 生かされし救いの生命観」も三浦先生と執筆しております。

私自身もクライアントに「きもちよさ?わからない」と言われ、どん底に落ちていたことがありました。そこから這い出すことができたのは、三浦先生のおかげです。

その中で、操体を学ぶ人が(アマチュア、プロ問わず)どこで壁にぶつかるのか、よくわかるようになり、自分も悩み、三浦先生に弟子入りすることでその壁を突破することができた経験から、自分の生涯の操体の研究テーマを「楽と快の違いを明確にする」ことに決めました。

 

この「楽と快の違い」を理解していただくことによって、操体のセルフケアも、操体を生業としたいと考えている方も、今のご自身の治療法の参考にしたいと思っている皆さんのお役に立てればと思っています。

 

皆さん、ぶつかるところはほぼ同じです。ここを指導できるのは、おそらく現時点では私しかいないと思っております。

 

操体法施術+ベーシック講習」

 

開催日 基本的に火曜、木曜、金曜、土曜、及び祭日(予約時に調整も可)
開始時間 予約時に調整 
開催場所 TEI-ZAN操体医科学研究所(西葛西)
時間 施術・講習を含め3時間~4時間
金額 25,000円(税込)初診の場合
初診料と施術料で13,000円、受講料が15,000円になりますので、別々に受けるよりもリーズナブルになっています。
形式:基本的に個人レッスンです。ご希望や、どのように操体操体法を活かしたいのかじっくりお伺いいたします。
テキストは用意致します。
内容は基本的にセルフケア(自力自動)になります。
また、二名以上同時にご参加で、互いに操法をやってみたいという場合はご相談ください。

クレジットカード決済も可能です

キャンセルについて。当日キャンセルの場合は、受講料をお支払い頂きます。なお、前納、クレジットカード決済の場合は、振替も可能です。

 

操体の「秘伝」とは

ある古武術の先生が「秘伝って言うのは実は簡単なんだよ」「簡単すぎてありがたみがないから秘伝、っていったんだよ」と言っていました。
操体の理論もまさにそんな感じがします。

操体に興味がある、自分でできるようになりたい、ということは、どこかにトラブルを抱えているのですね。


人間の「健康度」の度合いが、6割であれば、ご自身で日々のメンテナンスとセルフケアを行うことができます。なお、4割に満たない場合は、セルフケアが可能になるまで、お手伝いいたします。

 

その日からすぐに使える方法


「これから運動するぞ!」的な気合いはいりません。日常生活の中で活かせる方法をお伝えします。

『ラジオ体操みたいな体操じゃないの?」
はい、違います。ラジオ体操とは正反対です。

ポイントを押さえないと効果がでませんが、ポイントとコツもしっかりお知らせします。

本来は施術(初診の場合13000円)と講習(15000円)計28000円ですが、こちらのパッケージですと25000円になります。

 

この講座を企画した理由

講師(畠山裕美)プロフィール 

 

私自身、操体に出会って懸命に勉強し、操体のプロとして独立開業しました。ただ、私が習った操体は「楽と快」の違いが未分化のものでした。

 

皆さん同様、私も「操体って、きもちのよさでよくなるんだ。痛いことや辛いことをしなくてもいいんだ。セルフケアも可能ならなおいいよね」という気持ちで操体に興味を持ちました。

 

その後「操体法治療室」(三浦寛・今昭宏共著)の、三浦先生のパートを読み、「感覚分析」にまで踏み込む操体法とは一体どんなものなんだだろう?と思いました。

 

 

 

というか、この本を読んだ時「こんな考え方の治療法があったのか?!」と衝撃を受け、操体を勉強しようと決意したのです。

 

三浦先生の講習を受ける前に(当時はよくわかっていなかったので、どこでも同じ操体法が学べると思っていました)、良いチャンスに恵まれ、実践的な操体を勉強することができましたが、どちらかというと「感覚分析」というよりも「テクニック重視」というものでした。

 

その後開業し、ずっと「きもちのよさでよくなる」という体験をクライアントの皆さんに提供したいという思いがありましたが、私自身、実際に「操体臨床におけるきもちよさ」の全貌がわかっていたわけではありませんでした。

また、クライアントの皆さんに「きもちのよさって言われてもわからない」と言われ、絶望したこともありました。

 

そんな時、三浦寛先生の「快適感覚を聞き分け味わう」という、第二分析の操体法を見て、自分がやってきたものとの違いに大ショックを受けます(天地がひっくり返りました)。

 

そこで、三浦先生への弟子入りを考えます。周囲から猛反対(すでに開業していたし、講習もやっていた)を受けましたが、それまでやっていた操体法を封印し、三浦先生に改めて弟子入りしました。

 

そこでは一受講生として勉強をしなおし、一番の難関である「楽と快のちがい」を理解することができたのです。

 

そして、これらの違いを理解するすことが、操体を理解して実践すること、セルフケア、未病医学を理解することだ、と確信しました。

 

やみくもに、わからないことを手探りでやっていたり、壁の前で立ち止まっていると某大な時間がかかります。

 

限りある時間を大事にしたいですよね。

 

「百聞は一見にしかず」という諺がありますが、一度実際体験していただき、体得していただきたい、というのが私の願いでもあります。

 

 

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歴史オタバンザイ。

こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

そもそも「TEI-ZAN」というのが、伊達政宗公の諡号「貞山公」をお借りしているくいらいなので、私が歴史オタなのはすでにバレバレだと思います。

 

小二の時買ってもらった「義経記」の口絵。

こんなの小二に読ませるから歴史オタになるんだよお父さん!

私はこれで判官贔屓になりました♪

安田靫彦(やすだゆきひこ)黄瀬川の陣

www.momat.go.jp

 

 

なお「独眼竜政宗」では、政宗が二本松の畠山氏を滅ぼし、一族郎党皆殺しにしていますが、うちも宮城の畠山ですが(気仙沼あたりは「畠山」が多い)、多分別系ではと。

 

ただ「独眼竜政宗」以降、大河があまり面白くなかったので、結構飛び飛びで見ていたのと、日曜は遅くまで操体の講習をやっていたので、2000年くらいから2018年くらいまで、ちゃんと見てなかったんですよね。

 

ただ「鎌倉殿の13人」は、大好きな鎌倉時代な上に、三谷幸喜さんの脚本ということで、ちゃんと根性を入れてみようと思いました。

 

麒麟」は、最初染谷将太君の信長がボロクソに言われていましたが、私は「空海」とかで結構染谷君をかっていたので、最後は「いいノブナガだった」と皆が言っていたので、心の中でガッツポーズしてましたっけ。。。

 

そしてこれは以前にも書いていますが、歴史好きなクセになぜか明治維新が全然アタマに入ってこない。自分でも変だなと思っていたところある筋から

 

「あなたは戊辰戦争で落命した坊さんか尼さんです」と言われ、

明治維新がアタマに入ってこない原因はこれか?!」と気がつきました。

 

それ以降、維新前後もアタマに入ってくるようになりました。

 

この後、三谷さんの「新撰組!」とか見たところ(DVD借りた)、また岡田准一の「燃えよ剣」とかみちゃったのと、よしながふみさんの「大奥」のラストあたりがアタマにざざざ~っと入っていて、多分直視するのが辛くて敢えてさけていたと思われる「八重の桜」もアタマに入ってきました。

 

これ、一種の前世療法みたいなところもあると考えていますが、やはり歴史で「どうもこの時代はアタマに入らない」「なぜか敢えて避けちゃう」というのは、やはり何かあるのかと思います。

 

あなたも、もし歴史で「ここが何だか興味が薄い時代」とか「このあたりは何だか避けている」というところがあったら「とっても好きな時代」とは別の意味で、何かあるのかも。

 

自分でも「戊辰戦争で(会津あたりで)落命した坊さんか尼さん」って、自分でも驚くくらい納得できるんですよ(このあたりはいずれ「御仏縁とわたくし」みたいな感じでまとめようと思っています)。

 

それを考えると、平安から江戸時代は頭に入ってくるのに、室町時代がどうもアタマに入ってこない。

応仁の乱とか(たしかにややこしい)も。

これはもしや、私は鎌倉幕府末期の北条とか御家人に関係しているのでは??

 

ちなみに「応仁の乱」は、畠山氏も関係してますが、畠山氏って、平家系と源氏系、東北系もっと下って平氏から源氏になった武蔵野系(畠山重忠ですね)とか結構色々ありますが、私の両親の生まれ故郷、宮城の気仙沼近辺は、先程も書いたとおり、畠山さんがとっても多いんです(全国畠山さんの会とかあれば、教えてください)。

 

とにかく「室町」があんまりアタマに入ってこないのは、おそらく「応仁の乱」が面倒くさすぎるのと(何度か挫折)、多分この時代にトラウマある死に方をしているのでは??

 

このあたり、とっても興味があるところです。

 

 

 

 

操体の主役は「からだ」です。

こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

先日からこれを連続して出していますが、操体を実践するためには「主役はからだ」である、ということをまず覚えておいていただきたいのです。

 

そして「楽」に問いかける動診操法と、「快」に問いかける動診操法は、その行程が大きく異なるということです。

 

 

一般的な治療法は、先生と患者の一対一で行います。

主役というか、リードし指導するのは「先生(治療者)」です。

診断、施術の選択、施術の回数などは「先生(治療者)」が決めます。

 

★第一分析は、どちらかといえば、こちらに↑に近いと言えます。

 

 

一方操体は、「からだ」が主役です(主に第二分析以降です)

からだと私(患者)は、別の立場であると考えます。

また、診断は「からだにききわけて」選択します。

操法の回数も「からだにききわけて」みます。

つまり、第二分析(快適感覚をききわける)は、全て「からだにききわける」という過程を通ります。

 

なぜ、からだにききわけるのか?

それは、患者(私)は、欲張るからです。

「左右均等にやった方が効果があるんじゃない」

「回数をたくさんやった方が、早く治るんじゃない」

という「もっともっと」という欲張りです。

 

 

 

 

 


きもちのよさ、については、引き続きnoteに書いていく予定です。

 

 




操体における「快」のとらえ方(1)

TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

私が言うのは「世間一般の『快』『きもちよさ』」ではなく、操体操体法操体の臨床における)「快」のとらえ方です。

 

これが大前提になりますので、ご容赦ください。

 

 

1.楽と快は違うのに、混同している

×「らくな方に動かして、一番きもちのいいところで動きをたわめて」

×「どちらがきもちいいですか?」

 

検証 橋本敬三先生は、85歳の時三浦先生に、卒寿のお祝いの席で「楽と快は違う」と明言なさっています。「万病」の頃は、まだ、楽と快の違いがそれほど明確ではありませんでした。

 

★ご本人が後に訂正しているのですから、それは聞いてあげましょうよ、と思うんですが、如何でしょうか。

 

「万病」の実技にも混同されている記載がありますが、基本は「痛い方、違和感があるほうの反対側」ということです。

 

なお「万病」時代には、大きく分けて3つのやり方がありました。

①対になった動きを比較対照し、楽な動きをとらせ、数秒たわめて瞬間急速脱力

例えば、膝を左右に傾倒する動診操法

②圧痛硬結を解除するもの、あるいは圧痛点消去法

例えば ひかがみの圧痛を足関節及び足指関節の背屈で消去するもの

③ 「万病」51ページ、あるいは「からだの設計にミスはない」の218ページ、同16ページの写真などのように、比較的きもちよさをききわけやすい動き、頭頂や頸椎7番に抵抗を与え、伸展させるもの、前屈の動きに操者が背面から抵抗を与えるものなど。

特徴としては「脊柱を伸ばすのと縮めるのはどちらが楽か」「前屈と背屈どちらがらくか」という問いかけはしておらず「比較的きもちいい動きを一方向のみ」で試していることに注意

 

この3つです。

ただ、現在ポピュラーなのは①と②です。

③については、あまりやっている人は見たことがありません。

 

③があり、③では割ときもちのよさも味わえますが、③では比較対照はしていません。これがポイントです。

 

2.主語は「からだ」である

 

×「きもちよさがでてくる」

 

ここ数日毎回出しているイラストです。

 

 

これが操体の鉄板です。

 

第二分析では

からだに、動診(診断・分析)を行い、快適感覚の有無を調べます。

まず、診断が最初です。

きもちのよさ、も「動いてみないとわかりません」。

「きもちよく動いて」というのは、順番的に間違っているのです。

 

からだ、が主語です。

操体における快のとらえ方を誤っている場合、ほぼ「主語」が「きもちよさ」になっています。

なお「きもちよさ」を主語(主役)にしてしまうと

「動けば必ずきもちよさが出てくる」(でてきません)という理解になります。

 

動診をとっても、必ずしも快適感覚がからだにききわけられるとは限りません。

理由:操者の介助補助、言葉の誘導や、動診の選択が間違っているから

理由:バランスがとれていて、楽でなんともないから

 

我々は「快が聞き分けられない」のも情報の一つとして受けとります。

ここで、上記の理由により『快が聞き分けれらない』のに「快」に執着(絶対ある)するので「きもちよさを探して色々動いてみる」ということになるんです。

 

また、もう一つ。「きもちよさが出てくる」という人の例ですが、身体能力が優れていて、自分のからだを少し操っただけでも快適感覚が感じられる人がいます。

 

こういう人たちは「からだにききわけて」という、ステップを通り越してしまうので「きもちよさがでてくる」という言い方をするようですが、聞いてみるとやはり「主語」は「きもちよさ」です。

彼らは本当に感覚に優れているので「からだ、が主語だよ」と言っても、それをスルーしても快適感覚を感じられるので、逆にやっかいです。

自分が動きをとるとすぐに快を感じられるので、他の人(つまり、普通の人や、からだを壊していて感覚が鈍磨している人にも)

「ほら、こうすると、きもちいいでしょ」と、快の押し売りをすることがあります。

「自分ができるから、他の人もそうだろう」という間違いです。

 

身体能力が優れている人は、優れた治療家にはなりにくいのかもしれません。

「普通の人」の感覚がわからないからです。

「人の痛みがわかるのがプロよ」と、橋本敬三先生も仰っていました。

一流のスポーツ選手が、一流のコーチにはなりにくい、というのと同じです。

 

 

3.操体の「行程」を誤っている

操体は、まず「診断・分析」を行います。

先程も書きましたが「快か不快か、それとも楽でなんともないか」というのは、動いて(動診。診断分析)をしてみないとわかりません。

 

4. 「型」に、感覚を関与させている

 

これは、よく見かけることです。

 

般若身経は「からだの使い方、動かし方の基本法則」です。

勿論習得すれば、感覚分析にも運動分析にも使えます。

 

ただ、最初に覚えるのは「型」です。

前後屈、左右側屈、左右捻転の際、重心をどのように移動させればいいのか、型を覚えるところで「この動きをするときもちいいんですか」とか言う人がいたりしますが、

これも間違いです。型を覚える時は、型を覚えてください。

また、動きをするときもちいいんですか、というのも、操体の順番を考えると変な言い方です。きもちいいかどうかは、動いて見ないとわからない、これ、一番大事です。

 

まずは型を覚える。それが先決です。

 

「連動」も同様です。

先日も「きもちよさを探して動けば、自然な連動が出てきますか」という質問がありましたが、これもとらえ方が「きもちよさが主語」になっています。

「からだ」が主語です。

 

自然な連動(ボディに歪みがない場合に起こる、手関節、足関節からの全身形態の連動の法則。ボディに歪みがある場合は、不自然な連動が起こる。操体臨床を必要としている患者はほぼボディに歪みを抱えているため、不自然な連動を起こしている場合が多い。

例をあげると、仰臥膝二分の一屈曲位で、膝を右に傾倒した場合、自然な連動であれば、首は左に向く。首や腰にトラブルがある場合は、首も右に向いたりするが、施療後、ボディの歪みが解消されると、本来の自然な連動をとるようになる)

 

被験者に「自然な連動を元にした」動診を行う。

 

ポイントはゆっくり表現すること。その表現の中で、快適感覚の有無をききわけてもらう。

 

 

 

 

どうしても「きもちよさ」というパワーワードが頭に入っているので、

「動くと必ずきもちいい」という思いこみと

「からだ」ではなく「きもちよさ」が主語になってしまいます。

 

再度言いますよ

操体における『快』は、からだにききわけるものである。出てくるとか探すものではない」

「必ず快が聞き分けられるわけではない」

 

覚えてから「動きをゆっくりと感覚をききわけながら試し」

①左右ためすなら、どちらが楽か辛いか(やりやすいかどうか)を確認、楽な方をやってみる

②快適感覚をききわけたいなら、一つの動き(比較対照しない)をゆっくりと末端から表現し、快適感覚の有無をききわける(楽でなんともない場合もある)

 

 

4.快・不快の法則を理解していない

「快・不快の法則」というものがあります。なぜ「快適感覚が起こるのか?」という根本的な法則です。

これを見て頂くと「楽でなんともない」というところがあるのがお分かりいただけると思います。

 

快・不快は、ボディに歪みがあるからこそ、なのです。

バランスがとれていていれば「楽でなんともない」のです。

 

 



 

 

 

 

 

2024年春季東京操体フォーラムの「質問」にお答えします(1)

TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

橋本敬三先生の書籍の帯に「快を探る」というのがありますが、あれは

「快の本質を探究する」という意味であり、

「快を探って色々動いてみる」というわけではありませんからね。これを勘違いしている人がいそうなんですが、これ、大事です。

 

 

最近フォーラムでは「教えて!三浦先生」というコーナーを設けています。

参加者からの質問に三浦寛先生が答えるというものですが、参加者からの質問を読んでいると、共通点があることがわかりました。

 

それは「操体における『快』」を語っているのではなく、今までのご自身の経験から導かれる「快」で操体を考えているのではなかろうか、ということです。

 

 

 

なお、今日ふと気がついたら、「理趣経」の解説本が目に入りました。

理趣経」というのは真言宗の経典です。

私も一昨年、仏教塾の「真言宗」の修行に参加しました。
いえ、ご祈祷系曹洞宗が好きなのと、豊川稲荷(お寺です)や、伊豆の修禅寺、今は曹洞宗だけど、昔は真言宗、というのもあり「阿・吽」好きだし、春と秋の結縁灌頂も参加したくらい結構お大師様好きなんですよ。

 

さて、なぜ理趣経を思い出したかというと、このお経「人間が肉体的に持つ五欲は、悟りの立場からみれば清浄である」というものです。つまり、性欲を清浄である、と肯定しているのです(超端折ってます)。なので、知識の浅い者が勘違いすることがないように読める人を限定したり、聞いても分からないように漢音で読んだりしているんです。

 

「きもちよさ」という言葉も、操体の理論をきちんと勉強していない人がいい加減にやったりすると、勘違いして暴走することがあるのです。

しかし、きもちよさ、という言葉はインパクトがあります。

現在操体に興味を持つ人の殆どは「楽」じゃなくて「快」に興味を持ちます。

 

よくある勘違いは、般若身経の形を勉強しているのに(型を学んでいる)、そこで楽とか快とか、感覚を持ち込む人がいます。これが混乱の元です。

「快」を早くやりたい気持ちはわかるけど、まずは「感覚」は置いといて、型を完全にマスターしてからです。

 

そして操体臨床の独特な言葉遣いですが、最近、この辺り、現代催眠系とかなり似ているのではないかと考えています。

また、実は言葉の誘導も「型」があります。

一字一句完コピです。これが「守」。私もそうでしたし、受講生の方は「そうだよね」と、遠い目になってもらってもいいんですが、完コピです。

 

ヘンなことを言うと、先輩から丁寧に注意されます。

 

この、言葉の誘導を2年以上かけて習うわけなのです。

 

おおよそ、最初の2年くらいで、それまでのからだの使い方のクセとか、言葉の使い方のクセを直すんです。

 

私はもう20数年三浦先生の元で勉強していますが、最初は完コピです。

ノートに書き写してトイレや風呂でも練習していた記憶があります。

 

その後ですが、自然に「被験者」にではなく「被験者のからだ」に問いかける話法をマスターしました。

これは「あれ?できてる」という感じです。

 

 

そしてとっても気になるのが。

 

「きもちよさがでてくる」という言い方です。我々は言いません。

前提ですが、我々は「からだ」を主語にして文脈を組み立てています。

 

「からだ」を主語にしていると、「きもちよさが出てくる」という文脈にはなりません。

主語は「からだ」です。

 

からだに、きもちのよさをききわけるのです。

 

 

普通の治療法では、先生と患者という二対一になりますが、操体は、先生(操者。役目はコンサルタント)、患者自身、からだ、という3つが登場します。

これは、操体のかなり大きな特徴であり、整体とは違うところです。

 

長くなりましたが、三浦先生に寄せられた質問に私が答えるという?

ヘンなコーナーです。

 

質問

①きもちよさを追求していけば、連動した自然の動きは出てくるものでしょうか?

 

①ですが「きもちよさを追求」というのは、言い方を変えれば「きもちよさを探す」ということになるかと思います。後半の文章から判断しました。

 

★動きが出る、とかきもちよさが出る、という言い方はしません。

きもちのよさは、からだがききわけるもの、なのです。 どこかからプワーンと出てくるものではありません。

 

連動した自然の動き、とありますが、三浦先生が本に書かれた連動は、

連動した自然の動き、という言い方ではなく「自然な連動」あるいは「不自然な連動」

という言い方をします。

自然な連動、というのは、ボディに歪みがなく、設計図通りの自然な連動が起こること。不自然な連動、とはボディに歪みがあるため、自然な連動が起こらないことを言います。

 

①きもちよさを追求していけば、連動した自然の動きは出てくるものでしょうか?

 答え。出てきません。順番が逆です。「自然な連動」つまり動診が先です。

操体では、動診が必ず先です。

 

  1. 被験者に末端関節からの「自然な連動」を介助補助を与えながら、ゆっくり表現してもらいます。
  2. 全身形態が連動してきたら、からだによくききわけて快適感覚の有無をききわけます。

 

ご質問内容の意図はわかるのですが、順番が逆だということです。

また、快が必ずある、とは限りません。ためしてみないと、わからないのです。

なので、動診(自然な連動の型をもとにすることが多い)をして「快適感覚の有無をききわける」のです。

無い場合もあるんです。

 

快は、探さない

快は、動診を試してみて、有る無しをからだにききわける。

(無い場合もある)というのが基本です。

 

 

 

 

ちなみに

私は、操体の指導者にはいささか厳しいですが、クライアントの方にはすこぶる優しい(笑)です。

 

というのは、クライアントの皆様は、素直に「知りたい」って来てくれるからです。

 

わからなかったら、知っている人に聞けば、教わりに行けばいいんです。

 

自分でああだこうだと悶々とするより。

 

操体で悩んでいる人のお悩みは、ほぼ「快」に関することです。

 

私も昔は「楽と快の違い」が、わかっていませんでした。

 

それで壁にぶち当たりましたが、三浦先生に教えを乞いに講習に参加し、時間をかけて理解することができました。

 

なので、私のように壁にぶち当たっている人がいたら、お伝えしたいんです。