操体法大辞典

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師匠と弟子、メンターとヒーロー。「ヒーローを作る学びの場」

9月から、操体法東京研究会の定例講習「新創生期第二期」が始まります。

これは、「ヒーローをつくる学びの場」なのです。

 

www.sotai-miura.com

 

ヒーローが誕生するには、メンターの存在が不可欠です。

何かを学ぶには、メンターや師匠に巡り会うことがとても大切です。

 

東京操体フォーラムの実行委員は、橋本敬三先生から続く「師弟関係」を大事に思っています。心の支えというか、誇りでもあります。

 

 

「師弟関係」というと古くさい感じがするかもしれませんが、メンターとヒーローと言えばなんとなくかっこいいじゃないですか。

 

 

やはり、ドライな「先生と受講生」という間柄ではなく、操体は「師匠と弟子」いえ「メンターとヒーロー」という間柄で学ぶほうが「腑に落ちる」のです。

 

★桃太郎に始まり、スターウォーズハリーポッター、スーパーマンONEPIECE、なんと寅さんも「物語母型」なのです。英雄が仲間やメンターに出会い、成長する物語です。

 

面白いのは、操体法東京研究会の受講生達です。最初は「受講生」で、お客様です。

 

ところが、日を重ね「操体的なからだ」(になってきます)になってくると、実行委員のように、終わった後掃除を手伝ったりするようになります。

 

中には、玄関で靴を揃えないとか、トイレのスリッパを揃えないとかして、先生に怒られることがあります。トイレの電気を消さないとか、鍵を閉めないというのは、オジサマに多いようです。家でもドアを開けっ放しなんですかね(笑)

 

こういうことにも気を遣うようになってきます。そうすると、実技や臨床も上手くなってきます。

 

橋本敬三先生は「そうじの仕方」で、上達ぶりなどを観ておらえたとのことです。また「弟子」と「ファン」は分けておられたようです。この辺りはまた。

 

 

さて

 

 

以前にも書きましたが、カルトのリーダーは「自分には師匠はいない」というそうです。それは、自分が一番すごいから。今までかかわったり、学びを得た人よりも、自分のほうが凄いからなのです。

 

そう言われてみると、そうですよね。


また、その前に過激な思想などで「師匠から破門」や「縁を切られている」ということもあります。

 

破門されたり、縁を切られたら「弟子です」っていうわけにはいかないですし、公に「あの先生の元弟子(受講生)です」とは言えませんからね。

 

その場合、やはり「自分は一番すごくて師匠はいない」っていうようになるんでしょうかね。あとはどうしても自分の一派を作りたくなるんでしょうか。

 

私も何人かそういう人を知っていますが、やはり「師匠」の存在を否定しているようです。

 

さて、タイトルに「師匠と弟子」と出てきます。

自分だけテクニックを極めて上手くなるだけでは、本当の名人達人とは言えません。それを後に伝えるのも、名人達人の役目です。

 

そして、「伝える」のに一番効果的なのは「パソコンやネットを使った、古典的な師弟関係」なのだそうです。

 

そうすると「スターウォーズ」はまさにそうですよね。
マシンやテクノロジーは進化しているけれど、メンターとヒーロー、つまり、師匠と弟子いう関係がキモなのです。

 

師匠と弟子、というと古くさい感じがしますが、メンターとヒーロー、というと、何だかかっこいい感じがしますね。

 

★大抵は、物語の中で最初主人公(ヒーロー)はメンターに反発とか感じるのですが、途中で気がついたりしますよね。これがミソなのかもしれません。

「何だ?このオッサン?」とか(笑)

 

ちなみに、単に「メソッドを教える」場合だと「暗黙知」つまり、表には出て来ない知識が伝わらないことがあります。これは「教える側と教わる側の合意」がなかったりするから。

 

 メンターに対する敬意や「この人から教わりたい」という気持ちなしに「授業料払ったから教わって当然」というスタンスなのと、敬意と「この人に習いたい」というスタンスの違いです。

 

これは、ありうることなのですが、大切で重要なことは、教えるほうも、できれば「教えたい」と、心から欲するような人に伝えたいのです。

 

 

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外気功基礎。スワイショウ。

GWに「集中講座」をやりました。


外気功基礎は去年もやったんですが、今年は昨年に引き続いての参加メンバーがいたので、なんと三浦センセイをモデルに実技をやりました。

 

ご本人は「何だかスースーしてきもちよかった」とのことでした。

 

さて、その時にご紹介したのが「スワイショウ」です。

 

これ、立位で手を振るという簡単なものなのですが、結構いいです。
シンプルな動きを繰り返すことで、瞑想状態に入るのでしょう。

 

一番効果があるのが「アタマの疲れを取る」ことなんだそうです。

 

なんとなく納得です。

 

まず、場所がいりません。
手を振ってぶつからなければどこでもできます。

 

やってると何となくたのしくなってきます(笑)

 

 

しかし、立ち方とか(実はどっちをむいてやるとかというのもある)、呼吸の仕方とか、どうやって立つかとか、意識はどうすんのとか、目線はどうしたらいいのとか、始めと終わりにはどうすんの、みたいなことは、本にもネットにも書いてありません。「舌をどうするか」くらいは書いてあることもありますね。

 

 

まあ、そんなに難しいことを言わなくても、日々の健康のためには適当にやってもいいのかもしれませんが、やっぱり基礎ルールは知っていたほうがいいんです。

 

 

実際に習うということは、こういうことを知ることができる、ということなんですね。

 

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瑞鳳殿の正面、涅槃門の内側にそっと咲いている鮮やかな牡丹。見えにくいところにありますが、是非のぞいてみてください。

 

 

 

 

 

操体は自分でできる(けど、きもちいいのはちょっとマレ)

昨日の日曜は、午前中に私の「視診触診講座」、午後が三浦先生の「新創生期第一期」の講習でした。


「視診触診講座」ですが、昨日は毛色を少し変えて、セルフケアの操体、つまり自分のメンテナンスのための動診操法をやりました。

 

操体って「自分でできる」から興味を持ったと言うヒトも多いのですが、反面「やってみてもきもちよくない」「よくわからない」という声を聞きます。

 

★そもそも、比較対照の第一分析は、「楽か辛いか」を分析しているので、それに対して「きもちいいか?」という第二分析の問いかけの答えを求めても、ダメなのです。

加えると「楽か辛いか(動かしやすいかそうでないか)」という問いかけをしているのに「これ、きもちいい?」とか、動いてみないとわからないのに「きもちよく動いて」というのも、厳密に言えば的外れです。

 

以前、農文協の編集の方に「万病を治せる妙療法」とか「操体法の実際」を読んでやってみて「きもちよさ」ってわかりますか?と聞いたことがあります。

 

「わかりません」とのことでした。

 

 

そもそもこれらの本は「楽か辛いか」(動かしやすいか動かしにくいか)という、運動分析の視点で書かれているので、「きもちよさ」を求めること自体おかしなことなのですが、一般的に「操体ってきもちいい」という通念もありますので、大抵の読者は「快」を求めて本を読むワケです。

 

 

 

ちなみに、大抵の方が「操体」といって想像するのが「膝の左右傾倒」「足関節の背屈」「伏臥膝関節腋窩挙上」などです。

 

 

これ、操者がいて、介助補助がしっかりなされていて、全身形態が連動していれば、きもちよさに導くことができますが、一人でやってもあまり面白くありません。

 

 

★また、これも以前に書いていますが、体操教室などで操体をやっている場合、基本的に「元気で動ける」「身体に対する興味が高い」方が来ていることが殆どなので、「ラクなほうにきもちよく」と言っても、ゴマカシがきくわけです。

 

本当はラクなほうがきもちいいわけではないことのほうが圧倒的に多い。これは、実際にやってみればわかることです。この違いを分からずに指導しているということは、ホントに操体やってんのか?というのがワタシの疑問。

そして、ぎっくり腰とか寝違えとか、痛みを抱えたヒトに「きもちよく動け」と言うのは酷なことです。

 

★健康体操的な操体と、橋本敬三先生がなさっていたような、臨床としての操体はこの辺りが違うんです。私は健康体操を否定はしませんが、操体の陳腐化(操体ってわかんない、とか、サークルの健康体操でしょ、みたいな)はして欲しくありません。

 

 

膝の傾倒などは、膝が倒れるほうにクッションを置くとか壁を使うという話も聞いたことがありますが、楽はともあれ、きもちよさを味わうにはあまり至りません。

(至るヒトもいます。例えば私は味わうことができますが、それは連動はじめ、操体的なからだをつくるトレーニングをしているからなのです)

 

 

ところが、器具などを使わなくても、きもちのよさをききわけ、味わうことが出来る動診操法は存在します。

 

というわけで、昨日は「セルフケア」をやったわけです。

 

お題は「膝の左右傾倒」です。

 

膝の左右傾倒(膝二分の一屈曲位にとり、左右に倒す)、バリエーションがいくつあるかご存知ですか?

 

大抵は一つだけですよね。

 

ところが、バリエーションはいくつもあります。
(私のベーシック講習+施術講習で覚えることができます)
★一番ウリのプログラムで、一番人気です。

 

teizan.com

 

今回は「新創生期」から参加のメンバーもいましたが(勿論初めて)、実際にやっていただくと

 

「おお〜っ。これはきもちいいですねぇ!」という声を聞くことができました。

 

やっていることは膝の左右傾倒なのですが、初めての方でも、殆どの方が「操体ってきもちいいって言いますが、コレなんですね〜」と言っていただいています。

 

 

実際に、手順を踏んで、指導を受けながら丁寧にやれば、体感できるんです。

 

 

そして、これもポイントですが、「きもちよさ」が伴わないと、毎日続かないんです。
「快」というからだへの「ごほうび」があるから続けることができるんです。

 

続けるコツ、というのもお伝えしています。

 

ジョギングとかなかなか続きませんよね。私は走ることはしませんが、一日に一時間は歩いています。これも続けるコツがあるのです。

 

最近の「健康運動指導士」(いわゆるメタボの指導ができる資格。フォーラム実行委員では、私と香(こう)さんが持ってます)の勉強では、行動変容と言って、運動しないヒトにどうやって運動させるか、というようなことを勉強しますが、「快」という「ごほうび」の存在は大きく、モチベーションを上げるには大切な事柄です。

 

 

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★仙台の大崎八幡の鳥居。

被害は自分だけで食い止めておく。

 「イヤなことを1分間で忘れる技術」という本を読みました。

世の中、いろんなことがあります。

 

最近は「イイ人ぶってるようだが実は」とか「八方美人過ぎて結局は・・」みたいなこともありますし、

 

私の易の先生によると、最近は「サイコパス」が増えているんだそうです。

 

そして、ネットを使った嫌がらせとか犯罪も増えています。

 

この本で「なるほど」と思ったのは
「自分が被害者になったら、被害は自分だけで食い止めること」つまり、自分は加害者にならないということが大切、と書いてあることです。

イヤなことを1分間で忘れる技術

イヤなことを1分間で忘れる技術

 

 

東京操体フォーラム藝術部活動報告

先日、100分外並び、40分内並びで「若冲展」に行ってきました。若冲は仙台でも昨年のサントリー美術館でも鑑賞してますが、また行ってきました。

若冲は鶏の絵が多いのですが、猫の絵は見たことがありません。多分、鶏を描くために飼っていたのだと思いますが、猫に鶏を狙われたので、多分猫が嫌いではなかったのかと。

以前、連動操体などの本を書いておられるN先生が「操体は猫がきもちよく伸びるように」とおっしゃるので、「猫はお好きですか」と、聞いたところ「猫が飼っている鶏を襲うから猫は嫌い」とのこと。

で、考えました。

そして先週「金魚養画場」(深堀隆介)を観てきました。
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アクリルに金魚を立体的に描く手法は斬新で美しくて、ちょっとグロテスクです。

そして今日は、カラヴァッジョ展。

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世界遺産に決まったらしい、国立西洋美術館です。

結構濃いですが、好きです。またイタリア行きたい(笑)。
マルタ島行ったことないので行きたい(笑)




たくさんの”私” 

 わたくし、ISIS編集学校の二期の学衆(生徒)です。

たくさんの“私

たくさんの“私" 一歩を踏み出す勇気

 

 そして、第五期の師範代なのですが、二期学衆、五期師範代の同期、麻野由佳さんが本を出しました。

 

「師範代面接」で確か一緒でした。
彼女は、「しっかりした不思議ちゃん」という感じです。

 

以前、編集学校の同窓会に、私がチャイナドレス、麻野さんがインドのサリー(エキゾチックな美人なので、本当のインドの方に間違えられ、タクシーの乗車拒否されそうになったらしい・・)という格好で登場したのが懐かしい。

 

大阪で水族館行って観覧車も乗ったっけ(そんなことばかり覚えている)。

 

そして

 

なんと松岡正剛先生がオビを書いていらっしゃいます。

 

 「わかることは、かわることだ」という、最近三茶の「操体法東京研究会」の定例講習でも聞かれる言葉がオビに見えますよ。

 

今度会ったらサインしてもらおうっと。

 

正体術。

正体術というのは、操体の源流と言われているものです。

 

これは「可動域のあるほうに動かして、動きを止めて、呼吸も止めて、数秒後にドスン!と脱力する」という結構ワイルドなものです。

 

正体術健康法―操体法の源流「正體術矯正法」現代版

正体術健康法―操体法の源流「正體術矯正法」現代版

 

 

 

正体術

正体術

 

 

さて、よく似ているものにPNFが挙げられます。

 

ところが、日本には昔からつたわる民間療法や武術の中に、「動かしやすいほうに動かして、チカラを抜かせる」というものはあったのです。

 

例えば「骨法」もそうですよね。

 

操体がそこからどう変わったかというと、動かしやすいほう、という運動分析から、「動かしてみて、どんな感じなのか」という、感覚分析に変わったことです。