『ほぼ日手帳』を愛用しているが、今めくったページに書いてあった事がある(2009年版、もうそろそろ買わなきゃ!)。
『自分たちはいいことをしている』と思っていると、絶対にろくなことはありません。『いいことをしてない人』に強く働きかけようとしたり、いいことをしているのだから、と図々しく声高になったりします
これは結構当たっているんじゃないか?
操体を愛する人の中には、操体を愛するあまり、人に教えたくて伝えたくて、熱心にやって、結局伝わらなくて疲れてしまう人がいる。私が知っていたある人は『どうして分かってくれないんだ』と憤慨し、相手を思う優しさが怒りに変わっていった。
また、ある友人に聞いた話だが、若い頃玄米菜食をしていたそうで、確かにからだが浄化されてくるのだそうだ。しかし、続けていると『いいことをしてない人』がバカに思えてくるらしい。それが怖くなって玄米菜食をやめた、と言っていた。
操体に関して言うと、一つ忘れてはならないことがある。橋本敬三先生も『取るかとらねェかはテメエの勝手』と言われている。こちらがどんなに素晴らしい情報を提示しても、それを食うか食わないかは、テメエの勝手、つまり自己責任だよと言われているのだ。
『ルールは教える。でもそれを守るのはアナタの勝手。でもそのルールに従うと、健康で幸せな生活が送れます。でも、ルールを守らないとひどい目に遭うよ。それも自己責任だけどね』
私も昔は『何で分かってくれないんだろう?』と思った時期があったが、橋本先生の『取る取らねェはテメエの勝手』という一文を読んで『なるほど』と、納得した。操体は何でも包む優しい器であるけれど、それを取らない人もいるということであり、それを取る取らないというのは、本当に『テメエの勝手』なのだ。
かといって、操体のご褒美というのは、『きもちよさ』という非常に分かりやすいご褒美である。辛い修業やエクササイズをしなくても、『快適感覚をききわけ(診断)、味わう(治療)』ことによって、全身のバランスがとれ(歪みがなくなり)、異常感覚(何か変だ)がなくなり、器質変化も改善していく。
一度味わってしまうと、また味わいたい『快適感覚』というご褒美なのだ。それに、自分でききわけた快適感覚なので、からだにききわければいくらでも味わっていて構わない。勿論中毒や依存症とは無縁である。
中には「一度味わっちゃうとやめられなくなりますか』という方もいるが、それはご安心を。自分でもメンテナンスできます。
でも、最初は間違いやすいし、当方に受けに来る方の多くは『本で読んだのと全然違う!』『受けてみないとわかりませんね』と、言われる。最初はプロの手ほどきをうけて(プロの施術を受けて)、その早さとか、からだを操るコツを体感し、ご自身で快適感覚をききわけ、味わう体験をすればいい。そうすればメンテナンスはできるのだ。
しかし、自分で(自力自動)もいいのだが、誰かに全部委ねる(本当はからだの言い分に委ねているのだが)のもいいものなのです。
よく言うのだが、日々の洗顔やお手入れは自分でできる。その積み重ねがモノを言う。しかし、たまにプロの(ゴッドハンドとか?!)のお手入れを受けるとやはり違うということなのです。