操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

過去に生きるなんてつまらない。

 そういえば、最近ではなく過去の操体法東京研究会に参加されていた方々で、今は全然顔を出しておらず、深化や進化の度合いを知らず、未だに「昔の三浦先生は」「昔は○○だった」という話しかしない人がいる。
そういう方は大抵、私のように実名を出さず、大抵は掲示板系で、匿名やハンドルネームで書きっぱなしである。
私が掲示板好きではないのは、その匿名性といういやらしさである。掲示板が全て匿名で書かれているわけではないのだが。


私のコトも某操体系掲示板でたまに名指しで書いている方がおられるが、人の事を散々こき下ろしておきながら、自分は匿名の上、20年以上も師匠(三浦先生)とは音信不通でありながら、まるで昨日今日の話のように「昔の三浦先生は・・・」と、そんなことしか書かないのである。


まあ、そんなのはほっとくしかない。


その中のある人と、以前メールでやりとりをしたことがあったが、メールの内容から師匠に対する果てしない嫉妬を感じた。
「あなたは20年前位の事ばかり繰り返しお話されていますが、今は昔とは変わっているし、色々な変化もありますよ」と言っても
「いや、昔は」の繰り返しになる。
その人にとっては、自分にとって一番インパクトが強かった時で、時が止まっているのである。
なので、他の人間が如何なる方法を使っても彼のアタマの中からは「過去」が消えないのだ。そして一生それを抱えて生きるのだろうか。


まあ、人間って過去に強烈な目にあうと、そのことが印象に残ってしまうのかもしれない。それが嫉妬を含むと尚更のことだ。


ちなみに、私は旧東京操体フォーラムから、K島田先生とK医学のU先生が脱退した際、神楽坂のK医学の本部に呼び出され、窓も何もない地下室に閉じ込められ、U先生から詰問されたことがある。いわゆる軟禁である。ご本人は忘れているかもしれないが、やはりそういう事は忘れないものだ。