操体法大辞典

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師弟。その2「赤めだか」と嫉妬の構造。「えこひいきされる技術」

2009年の「操体医科学研究所@書庫」では、この「赤めだか」
を紹介している。

赤めだか

赤めだか



これは、先年亡くなった立川談志師匠の弟子、談春師匠によるものだ。
結構売れた本なので、読んでいらっしゃる方も多いのではないか。

最後は、泣けます。

高校を中退して立川一門に入門し、色々な意味で「すごい」師匠を
持つということが、どんなに「すごくて大変」なことか分かる。

逆に言えば、そういう人、破天荒な人を師匠に持ったほうがいいのかも
しれない。
弟子は師匠に振り回されるものだ。
弟子ではないが、温古堂で受付と、橋本敬三先生のお世話係をしていた
ミヨちゃんを、東京操体フォーラムのゲストとして呼び、三浦先生と
「人間橋本敬三を語る」をやったことがあるが、気を許した近い人に
のみとる行動(笑)を聞くことができた。
一番印象的だったのは

「機嫌が悪いとミヨちゃんに当たる」「ワガママを言う」
というものだった(笑)

※これは、ミヨちゃんご本人に許可を得て校正した
原稿があるのでそのうち公開したいと思っております。

 

これを師匠に突っ込んだところ

「信頼しているからだろ」という答えが返ってきた。

「機嫌が悪いと当たられる」というのは、弟子の特権??でもあるが、
それにいちいち腹を立てていては、弟子はつとまらない。
私もよく師匠に当たられるが(爆)、信頼されている、気心を許して
くれていると思うことにしている。

勿論たまに「この○○○○○○!!!」とか思うこともあるが(笑)。

 

この中で、談志が「嫉妬とは何か」と談春に伝えるシーンがある。
談春が後輩の志らくに目をかけるので、談春の中に嫉妬心が芽生えた
時のことだ。

>>

翌日、談春(ボク)は談志(イエモト)と書斎で二人きりになった。 

「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」と云った。 
突然談志(イエモト)が、 

「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、 
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。 
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。 
本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。 

しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。 

芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。 

だがそんなことで状況は何も変わらない。   

よく覚えとけ。 

現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで 
仕方ない。 現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。 
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。 

現状を認識して把握したら処理すりやいいんだ。 

 

その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」 
<<

 

橋本先生が卒寿のお祝いの際、弟子達に
「楽と快は違う」というお話をした。
その時、楽しいお酒に酔っていて、その話を覚えていない
人もいた。

そういう人達は最初「楽も快も同じじゃないか」と言った。
しかしそのうち、「快」もいいんじゃないと思うようになった。
ところが「楽と快はちがう」という言葉を聞いていないので、

「どちらがきもちいいですか」という、ヘンな問いかけをする
ようになった。


「どちらが楽ですか、つらいですか」とか
「どちらが動かしやすいですか」という問いかけは
運動分析だから、答えやすい。

ところが「きもちよさ」というのは「感覚」なので、
二者択一がしにくいのである。
どちらもきもちいいかもしれない。
どちらかが楽でスムースで、一方がきもちいいのかもしれない。

橋本先生も第一分析時代に「きもちよさが比較的味わえる」動診操法を
行っているが、比較対照はしていない。
例えば体幹の前屈、後屈、伸長など、一つの動きに対しての
動診なのである。

更に「楽ときもちよさは違う」「きもちのよさで良くなる」という
発言は、85歳になってからだ。

「どちらがきもちいいですか?」と聞かれると
被験者は「?」と思う。
逆に

「この動き、きもちのよさがききわけられますか?
きもちのよさがありますか?」と、聞かれれれば

「イエス・ノー」「有る無し」を答えることができる。

「どちらがきもちいいですか?」と聞かれると、
わからない患者は、仕方なく色々とからだを動かしてみる。

つまり、色々動いて「探している」のである。
残念ながら、この方法では「楽な動き」はわかるかもしれないが、
「きもちよさ」は見つからない。

さらに「快適感覚をききわける動診(第二分析)」では、
基本的に操者が連動を基本に、動きを指示し、その中で感覚の
ききわけを行うので
「探す」というのは、動診になっていないのである。

「楽な動きに対する動診操法」「快適感覚に対する動診と操法」
の違いも勉強せず、D1とかD2とかややこしいと言っている方も
おられるが、勉強も努力もしないし、謙虚に学ぶ姿勢もない。
なので治療効果が上がらず、他のことをやったりした挙げ句、
治療費が高いとかそんなことを陰で言うのである。
まさに嫉妬の構造そのものではないか。

>>
己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱味を口であげつらって、 
自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
<< 

嫉妬と言えば、
橋本先生は、敢えて「えこひいき」したそうだ。
上京する際の定宿はいつもホテルオークラ東京である
(ご子息の橋本保雄氏が勤めておられた)。
そういう時、部屋には橋本先生のファンや弟子達が集まるわけだ。
そうやって、何人も人がいる時に、橋本先生は
「三浦、お前めんこいから小遣いやる」と言って、
ファンや弟子の前でお小遣いをくれたのだそうである。

三浦先生は「何でまたみんなの前で・・」と思ったそうだ。

私はこれを、弟子に対する一流の教育だと思った。
そういうことをすれば、妬み、嫉みの対照になるだろう。
しかし、そうやって強くなる。
また、贔屓されるには理由があるからだ。

橋本敬三先生のところに行って「操体を教えて下さい」と
お願いしたところ(プロの臨床家である)、
「東京に弟子の三浦が行くからそっちに行け」と言われ、
三浦先生の講習を受けた先生を何人か知っているが、
(いずれも三浦先生より年上)
先年亡くなったU氏と飲んだ際、
「オレは橋本敬三直々に習いたかったんだけど、
『東京に弟子の三浦がいるからそっちに行け』と言われて
そうしたんだ。本当は橋本敬三に習いたかった」という
言葉の中には、明らかに「オトコの嫉妬」が感じられた。

また、N氏からも同じような話を聞いた記憶がある。
やはり直々に習いたかったのにそれが叶わず、三浦先生の
講習を受けたという話だ。

 

えこひいきされる技術 (講談社プラスアルファ新書)

えこひいきされる技術 (講談社プラスアルファ新書)


シマジ氏の「えこひいきされる技術」。
シマジ氏は「えこひいきされる天才」だと思う。
やはり「めんこがられる」にはコツがあるのだ。

彼の言う「えこひいき」は
「上質な脳みそに裏打ちされた」ものである。

安っぽい「えこひいき」は国を滅ぼすが、
上質なものは、文化を生む。