- 作者: 平木英人
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2012/01/05
- メディア: 新書
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慢性疼痛というのは、本人にとっても、周囲の人間にとっても辛い症状である。病院で精密な検査をしても異常がないのに、本人は痛みを訴える。また、痛みは家族といえど他人には分からないので「なまけてるんじゃないの」「わがままなんじゃないの」「検査で何ともなかったんでしょ」と言われかねない。
私も何度か原因不明の疼痛を訴えるクライアントを診たことがあるが、訴える痛みは相当悲惨なものであった。
大学病院で長期的に検査入院しても原因がわからない。障害者の認定を受け、寝たきりで痛みを訴え続ける。50歳近い男性が、年老いた母親に世話をうけ、近くに住む兄も弟を案じている。住んでいるのは都営の古い団地である。
この方はとにかく「痛み」に取り憑かれているようにみえた。
以前、操体を受けたそうだが(知っているというか、少しは教えたことがある人だった)余りの痛さに耐えかねたと言っていた。おそらく彼は途中半端で「動ける人に行う操体」しか知らなかったのである。
このように全身に痛みを訴え、寝ているだけでも辛いようなクライアントに「動きの分析」「動いて治す」というのは過酷すぎる。動けないクライアントに対する対処法を知らないのだから仕方ないと言えば仕方ない。
「痛い痛い」と言っているところに、「痛いこと」をされてしまったので、最初は警戒心を抱いているようだった。
この方にとっての究極の「快」とは足趾の操法*1」だった。皮膚へのアプローチ(渦状波*2)の時も「快だか不快だかよくわからない感じ」は「何だかよくわからないものは痛み」と感知するようだったし、常に自分が今まで味わった痛みを反芻して追体験しているようでもあった。
(*1*2 共に商標登録済)「
今思うと、この方の疼痛は心療内科に相談する余地があったなと思う。というのは、私は彼の中に「やるせない怒り」をいつも感じていたからである。しかし、彼自身「この痛みが心の問題?」と認識できない、したくないというところもあった。
彼の自宅には往診の形で通っていたが、私が施術を開始すると、家族(母親と妹、兄)は、すぐ隣でテレビをつけて色々話をはじめる。本当ならば、静かにしてすすめていきたいのだが、家族にそんな気遣いはないようだった。
彼の怒りは、からだの痛み、その痛みをわかってくれない家族(家族も訴える痛みに対してうんざりしているように思えた。柔らかい無視である)に対してのように思えた。多分、痛みをわかってくれない家族に対して「自分は動けないほど痛いんだ」という状態を、まさに体現していたのではないだろうか。
なお、この本の著者、平木先生は夏樹静子さんの治療にあたっている。「椅子が怖い」は、夏樹氏の腰痛体験をつづったものである。とにかく何をやっても治らない腰痛に対して、最後は絶食療法で腰痛を克服するのである。
- 作者: 夏樹静子
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2000/06
- メディア: 文庫
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なお、アマゾンの書評でも、平木先生の文章にも書いてあるが、現在、心療内科で行われている治療が、果たして十分なものなのか。夏樹さんはいい先生に巡り会い、腰痛から解放されたが、心療内科に行っても睡眠薬や精神安定剤を処方されるだけ、という話も聞く。
著者の平木先生は、大学時代心臓神経症にかかり、森田療法を試している。森田療法は話に聞いてはいたが、とことん自分と向き合うという、非常に厳しい修行のような治療法だということが分かった。絶食療法も古典的ではあるが、非常に効果があるらしい。
臨床家はともすれば「痛み取り」に走りがちだ。しかし「痛みはとれるが症状疾患には効かない」では話にならない。
こころの問題にもっと目を向ける必要がある。
操体は「想」を重要視する。実際、私の師匠(三浦寛先生)は、精神科のドクターから、心身症の患者様を紹介されている。ある時先生と道を歩いていたら、自転車に乗った女性が「先生、こんにちは!」と声をかけてきた。先生が「元気そうだね」と声をかけると「お陰様で」という元気な返事が返ってきた。
後で私が「先程の女性はどなたですか?」と聞いてみたところ「うつ病だったんだよ」という返事が返ってきた。
なお「辛い方から楽な方へ動かして瞬間急速脱力」させる、第1分析では、心身症への対応はなかなか難しいのではないかと思う。心もからだも癒すような、とろけるようなきもちよさが、心身症を快方へと導くのではないだろうか。それに適うのは「第3分析」(渦状波)皮膚へのアプローチである。
世の中には「皮膚を引っ張る」「ズラす」「捻る」「絞る」あるいは「皮膚の歪みをとる」などをやっているところもあるが、彼らは「意識」にコンタクトしている。「第3分析」は刺激にならない皮膚接触であり、神経伝達回路も違うのである。「刺激」か「刺激にならない接触か」によって、全く違ってくる。
見た目だけ真似しても真似できないとはこういうことなのだ。