操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

少年愛の美学

 突然ですが、稲垣足穂先生です。

ちなみに私がこの本を読んだのは確か中学二年くらいだったかと。

覚えているのは、カバーが銀色の文庫だったこと。

そして長じてから、ISIS編集学校の卒門式で、松岡正剛先生に頂いたのもタルホ先生の本でした。

 

 さて、何故私がいきなりこの本を思い出したかというと

 

橋本先生の「小さき心」にこんな一節があります。

 

またも一つは米澤と云ふ所はいやな風習のある所でその頃美少年であった自分はあすこの中学校に入ると云ふ事はなにか恐ろしい事に出合ふ様に思はれたからでもあった。

 

これですが、タルホ先生を中二で読んでいた私はピンときました。

タルホ先生のこの本に

 

弥々丸は十一歳であったが、山僧の争いの中心になっていその昔、法師間の稚児争いに端を発する「少年騒ぎ」の刃傷沙汰は、明治末期に、学習院生徒それがしの帰校の途を要撃した抗奪組と、予め備えた一団の百数十名の大立廻りがあったのを、最終の例とするそうである。しかし大正中期までは、毎春、一般中等学校上級生のあいだに、「今年はX小学の何某はY中学に奪われた、その代りに、Z小学の誰それはこちらへ貰った」などという取沙汰が ... 全盛時代には余所と合わして部屋子が治二百三十余名いたと云う。

 

というところがあります。「いやな風習」というのは、いわゆる「稚児争い」というか、美少年を愛でるという風潮では???というわけです。

 

まあ、空海さんが「女犯(にょぼん)はダメだけどお稚児はOK」(意訳)の後、上のように「山僧の争い」とか、大正中期くらいまでは、そういう文化があったということです。

 

昨年の「ボヘミアン・ラプソディー」のヒットが発端ではありませんが(フレディは生前はゲイであることを公表していませんでした。知ってたけど)、自分の生き方やセクシュアリティに自信を持つ人が増えてきたような気もします。

 

折しも国内で同性婚(パートナーシップ)を認めよという訴訟が起こりました。

これを見て私の周囲でも「よくわからん」とか、結構否定的な意見を言う人もいますが、大正中期まで、旧制中学などでも「美少年文化」があったということです。

 

恋愛は美少年で、結婚は親が決めた相手とイヤとは言わずにする、みたいな感じでしょうか。

 

まあ、これは美少年を女子に模してというのもあるかもしれませんが、空海さんの時代から、大正中期まで、日本にはボーイズラブ、あるいはおっさんずラブの文化があったということですな。


なお、先出の「フレディ・マーキュリーと私」には、フレディとジムさんがあるバーに行ったら、女の子が2人出てきて相手をしてくれたと、後であの女の子達は男の子(ニューハーフだったらしい)と聞いてびっくり、と言う話がありました。

 

 なんだかオチがつけられませんが、「小さき心」というのは、大正時代に「アダム」という同人誌(新潟医専時代)に執筆されたものです。私は日本文学館式場隆三郎文庫(橋本先生と式場先生は「アダム」を一緒にやっていたのです)で、現物を見ました。