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操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「からだ」が情報を隠す時。

今日の午前はワタシ担当の「視診触診講座」と言っても、最近は「ミドル講習」みたいなものです。

 

そして、目的は「三浦先生の講習とは芸風が違う」「操体初心者(操体を受けたことがない)」という人を想定してやっている、ということです。

 

例えば師匠の講習では「下肢伸展」をやるとしますが、ワタシの場合は、敢えて「症状疾患を想定し、それに対する様々なアプローチ方法の模索」です。

 

講習や、特定の「操体を受け慣れた人」などの間のみでやっていると、妙な内輪慣れみたいになることがあります。

操体を全く知らないとか、それでなくとも「どんなことするのかなぁ」と不安を抱いている人もいるわけで、まずはそこからがスタートです。

 

更には、最近「からだ」を自分で操ることができない、または、感覚のききわけなどしたことがないので、分からないとか、慣れていないという人や、日常生活の中で、過度に緊張していて、常に緊張がとれないという人も結構いたりします。

 

つまり、操体の臨床をやる以前の問題を抱えているのです。

 

というわけで、その前の下地作りが大切です。

 

今日は来週のフォーラムにむけて「膝の痛みを訴えるクライアント」という想定で、各自に色々なアプローチをしてもらいました。

 

その際に、面白かったことをお伝えしましょう。

 

腕を組む、というボディランゲージがあります。
講習の際も、たまに腕組みをして実演者を見ている人を見かけたりします。

 

この「腕組み」というのは、中には単純に決めつけすぎという意見もありますが、「手の内を明かしたくない」「拒絶」という意味があるようです。

 

被験者Aさんがベッドに横たわり、操者役のBさんは足元に立ち、これからどうしたものかと、腕組みをして立っていました。

 

ワタシは「腕組みはしちゃダメだよなぁ」と思いました。
何故なら、これから診るからだに対して「拒絶」とまではいいませんが、「自分の手の内を明かさない」という信号を出しているから。

 

というわけで、Bさんが「腕組みをしている時」「していない時」に、Aさんの膝窩を触診することにしてみました。

 

腕組みをしている時 そんなに圧痛硬結はない。
腕組みをしていない時 圧痛硬結がある。

 

普通ならば、腕組みをしている時のほうが、圧痛硬結がきつくなるのでは?と思うかもしれませんが、Aさん曰く、腕組みをしているときは、からだが「見せないよ」と言っているようで(Aさんが言うには「からだが閉じている」)腕組みを解くと、からだも「それなら見せるよ」と(からだが開く、情報開示する)という感じなのだそうです。

 

Bさんは「どうしようかな」と、無意識に腕を組んだのかもしれませんが、からだは反応していたのです。

たかがそんなことか、と思うかもしれませんが、からだはそれだけ(本人が気づいていなくても)敏感に反応しているのです。

 

被験者のからだは、操者のからだや動き、心理状態、重心の保ち方などに敏感に反応します。私達がよく使う「極性」もその一つです。

 

そうやって「下地」をしっかり整えてから動診操法に進むことが大事です。

 

その後は、

 

下地を作っているヒマとかない、時間が10分もない場合にどういう操法をやるか、というような、実戦編をやりました。

 

橋本敬三先生は「患者さんの意識を一瞬で変えた」という話を聞いたことがあります。
三浦先生も同じことをします。

 

これは「一瞬にして下地を整え、それに言葉の誘導やら呼吸のタイミングを読んでいた」のではないかと思います。

 

こういう「読み方」は「下地の整え方」は、勿論本では学べませんし、テクニック以前(以前ですが、重要)の問題です。

 

現在の参加者は1年から5年選手ですが、さすがに1年以上やっていると、からだが「操体的なからだ」になってきます。本人は気づいていないかもしれませんが、少しづつ、確実にからだは変わってきます。

そういう変化を見守るのも、ワタシの密かなたのしみだったりします。

 

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門司の思い出。

 

藝術部活動。クラーナハ

先週の金曜日は上野トーハクに、「禅」を。白隠禅師のだるまさんの絵や(お茶目)、仙厓さんの脱力系とか、何故か特別に若冲が出ていたり、戦国大名と禅の関係の展示(瑞巌寺と政宗公もちろんあり)ありと、見ごたえありでした。

 

今日は上野西洋美術館へ「クラーナハ」を観に。500年前、宗教改革で有名なルターと同時代の人です。ルターの結婚の証人もしたそうです。

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ポスターでよく見るこの絵、ヒロイン、実は右手に敵の大将の生首を持っています。美貌を利用して、敵の大将の寝首をかいたというわけです。もう一枚、中央で白い頭巾を被せられ、女子にいじられているのは、怪力のヘラクレス

爺様と若い娘のカップルなど、興味深いテーマがたくさん登場します。ピカソクラーナハには影響を受けているそうです。

年明けまでやってるので是非。

音声ガイドは阿川佐和子さんですが、ツッコミがいい味出してます。

 

 

秋季フォーラム開催に向けて

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今日は赤坂の豊川稲荷(実はお寺です)の、荼枳尼眞天に、ボジョレー・ヌーヴォーをお供えしてきました。

 

秋季東京都操体フォーラム開催も近づいてきました。準備は着々と進んでいます。

 

実は、昨年、フォーラムの開催を阻害するような、卑劣なことをした輩がいました。

調査しましたが、立派な犯罪です。

 

操体関係者に、このような輩がいるのは、残念なことです。

 

家族や親類縁者にも迷惑がかかることが、わからないのでしょうか。

 

わからないんでしょうね。

 

また、こういうことを、見て見ぬふりをして、庇っている方々もいらっしゃるようです。

が、庇うのも、似たようなものです。

 

 というわけで、準備は着々と続いています。

 

ききわけれらる人は・・

 「からだの声をききわけられる人は、そうでない人の感覚がわからない」

 

ということもあります。

 

何度か書いていますが、身体能力が高く(原始感覚にも優れている)、快不快のききわけができるとか、アタマで考えなくても「からだが反応」するような人も勿論います。

 

そういう方、すごいとは思いますが、逆に言うと、自分が「きもちよく動けちゃう」ので、その他多数殆どの「きもちよく動けない」人のことがよくわからないのです。

 

 

指導者「ね、この動き、きもちいいでしょ?」
被験者「???」
指導者」こうすると、きもちいいでしょ?」
被験者「う〜ん(わかんない。自分にはきもちよさを感じる能力がないのか??)」

 

という話はよくあることなのです。

 

つまり、最初から能力の高い人は、そうでない人のことがわからないのです。

 

「自分ができるのだから、他者もできるだろう」という大いなる勘違いです。


これが、例えば私のように(笑)、体育の成績が10段階中4で、体育が嫌い(集団運動とか球技がダメ)で「まさかあんたが健康運動指導士とかスポーツプログラマになるとは思いもよらなかった」というほうが(笑)、そうでない人のことが分かるのと同じです。

 

そうだよね、今のからだと心の状態だったら、ききわけられないよね。
ききわけられるように、慌てないでちょっとケアしましょう、というのが操体です。

 

「からだの声をききなさい」とはいうものの。

「からだにききわけて」というのは、操体の臨床でよく使うキーワードです。

これは、体感語のひとつで、相手(エゴ)が、わからなくてもからだが体感してくれる言葉の一つです。

 

操体では、この「体感語」をよく使います。

私達は「言葉のちから」を知っているので、操体臨床で使う「言葉」を統制しています。

 

「楽でも快でもきもちよさを探してでもなんでもいいじゃん。いろんなやり方があるじゃん」ではないのです。

「いろんなやり方の方がいる」と言う方もいますが、それは結果が出ての話。
いろんなやり方でも、結果がでないのでは、おそ松さんです。

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「きもちいい、じゃなくてここちよい、でもいいじゃん」でもないのです。

言葉のコントロールができずして、他者のからだを操ることができましょうか。

 

 

さて、この言葉ですが、最近思うに「言うは簡単だけど、実践はなかなかハードルが高い」ということです。

 

というのは「からだの声を聞こう!」とがんばる時点でアタマ優位になっているから。

「どこがどれくらいきもちいいかな?」と、思考を巡らせた時点で、アタマ優位になっているから。

 

そして、この「アタマ優位」により、「からだの声をきく」という行為はなかなか大変なことになっています。

 

よく思うのが、講習で「力まないように」といっても力んでしまうように、自分のからだというのは、自分でコントロールできるようで、実は結構練習とかコツや慣れが必要だったりするのです。

つまり、自分のからだをコントロールするにも手間がかかるということです。自分のからだだからと言って、自由に操つることができるわけではないんです。

 

そのために、スポーツ選手は練習を積むし、剣術や武術のケイコも同じように練習を積みます。この練習のお陰で、からだを操ることができるように、近づいていくし、音楽家も同じです。

 

「からだの声を聞け」というのも同じです。

自分のカラダだから、すぐ声が聞こえるかというと、そんなことはないのです。

それは「原始感覚」が鈍っているから。

 

その「原始感覚」を呼び覚まし、「からだの声」を聞く(受ける、キャッチする)力をアップさせるのが、操体です。

 

 

プロの範疇の操体とセルフケア

YouTubeで、渦状波®の動画を観た方から、

「どこをどう触ればああいう動きが誘発されるのか、教えて欲しい」という話がありました。

 

まあ、気持ち的にはわかりますし、操体法東京研究会の過去の受講生にもそういう方はいました(過去形です)。

 

そう思うものかもしれません。

 

操体の勉強で一番コケやすいのは「操体は、症状疾患にとらわれない」(つまり、どこをどうすればどうなる、というマニュアル的なアタマを捨てること)だからです。

 

 

そして、その方は「操体はジブンでできる」というアタマがあるので「触る場所とか教えて貰えば自分もできるかも」と思ったのかもしれません。

 

不思議なことに、「からだ」は「操者」を選びますし、単に触れているように見えますが、呼吸や意識のコントロールをしているわけなんです。

 

師匠がやれば反応があるのに、弟子がやってもダメ、ということはあり得ます。

 

よく「センセイの真似したけど、全然うちのダンナは動かない」という話を聞きますが、当然なのです。ただ触れているわけではありませんし、場所が決まっているわけでもありませんし(それを読み取れるようになるのが、可能性を限りなく高めるのが我々の勉強

なのです)。

 

そして、最近はいませんが「DVDを見て操体を覚えたい」というケース。

昔は「空手の通信教育」とかありましたが、「通信教育で空手を習った」という人に、実力を期待できるでしょうか??

 

座学で「歴史」とか「セオリー」を学ぶことはできます。

DVDで、ある程度のおおまかなことを見せることはできます。

しかし、実践となると、ある程度下地があるとか、他の手技療法を極めているとかになってきます。

 

DVDというのは、すでに習った人の復習か、興味をもってこれから勉強したいヒトのための参考になるか、何となく持ってると安心とか、センセイが出てるから買おうというのが妥当です。

 

さて、操体は「自力自療」といいますが、イコール自分でできる、ではありません。

個人的には「般若身経」と、何種類かの動診操法と、他者にはわからない感覚のききわけ(自分にしかわからないし、きもちよさを味わうのは自分のみなので)を行うのが自力自療であると考えています。

 

そして、それでは足りない、間に合わない人がいます。

そういう方をヘルプするのが、我々プロの操体実践者なのです。