操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

足趾の操法

4月になり、東京操体フォーラム開催も近づいてきました。皆様のご参加をお待ちしています。



講習記録



足趾の操法とは、橋本敬三医師が確か72歳から数年間の間臨床に用いられていたと聞いている。

元々は足心道の先生が温古堂に出入りしていたのがきっかけらしい。橋本敬三先生がされていたのは「揉む」「揺らす」「落とす」の3種類。師匠はこれにアレンジを加えた4つの操法とそれぞれに「おさめる」ことを加えたものを受講生に教授している。



足の指は手の指と違って細かく動かすわけにはいかず、動かすのならば他力ということになるが、他力でも快適感覚をききわけ、味わうのが本人ならば、自力自療なのだ。



最初に言っておくと、足趾の操法というのは非常に気持ちのいいものである。美しい風景はリアス式海岸のように複雑な地形にあるように、からだも足趾のように複雑な形をしているところには「快」があるのだそうだ。また、足趾というのは

日常靴下や靴に覆われており、なかなかケアしないところでもる。

そういうところにこそ、快が潜んでいるのだ。



また、足趾というのはからだの根っこにあたる。操体が「ボディの歪みを正す」というには、やはり根っこである足趾からアプローチすることも必要であり、橋本敬三先生は著書の中で、足趾一本一本に感覚のききわけをとらせることもできるが、大抵は足首で足りる、と書かれている。ということはやはり足趾の一本一本にききわけをさせていたのだろうか。リフレクソロジーが、「足はからだの縮図」「反射区」と捉えているのに対し、足趾の操法は「根っこから癒す」という感じなのかと思ったりする。



我々が最初に習う足趾の操法は「揺らす」である。

易しいものから難易度が上がっていくのだ。

これは「揺らす」というより、被験者の足首の「あそび」を活かして足底を頭方に向かって「ぶつける」という感じである。

極端な右利きとか左利きは不利であるが、同様に左右の手の力が極端に違うと、左右の「ゆれ」が一致しなくなってしまう。

その前に、基本のポジショニングというものがある。最初は皆畳の上に正座して行う。膝の幅とか、座る位置などを学ぶ。操者に適した高さのベッドでやる場合は正座する必要はないので至極楽であるが、やはり出張・往療などで畳の部屋でやる場合もあるので、基本のポジションは身につけるべきだと思う。



何故、基本のポジションかといえば、やはり理に適っており、その通りにやれば操者の疲れも少ない上に、操者が操法を行っている姿がきれいなのである。



揺らしたあと、「納め」に入る。この納めも被験者の呼吸を読みながら行う。



次に習うのは「落とす」である。



これはある本でも紹介されているが、本を読んで誤った認識をしていたケースがあった。これは文字通り被験者の踵を床に落とすのである。それを、落とすのではなく、操者が被験者の足趾を持って浮かせて床に「落とさず」に、宙で浮かして細かく上下させるというものだった。「とても疲れます」とその方は言われていたが、腕力を使って浮かせているのだから、疲れるのはもっともである。



これにも基本姿勢がある。

そして、操者が被験者の足趾を一趾ずつ保持して床に踵を落とすのだが、足趾の保持の仕方にもコツがある。また、私のような非力(?)な腕力の持ち主でも疲れずにこなすことができる。力でやる必要は全くないのである。また、慣れないと全身ではずみをつけてしまうことがあるが、「手は小指」という原則が守られていれば

そんなに肩が上下することはない。

この操法にも「納め」がある。



最後は「揉む」である。

師匠にきいたところ、これはマッサージというよりは、按摩っぽい揉み方らしい。ビデオでこれらの操法が公開されているが、どうも「揉む」を「回す」と勘違いするケースが多数あるという。

「指をこするな」「回すな」「指頭で圧を加える」ということ。

師匠の模範をみていると、正座した上体が動かず、リズミカルに動いているのは肘から下だけである。

なのでとても安定して見える。「落とす」同様、慣れないと操者の肩が上下し、左右のリズムがごちゃごちゃになる。



気持ちいいといえば3つの中でこれが一番気持ちいい。

人それぞれの感じ方があるだろうが、私などはいつも人様にやるばかりで、あまり自分が受けるということはない。今回はたまたま人数が足りなかったので、受講生の中に入ることになった。



最初は操者の役。次は患者役である。



途中で意識が飛んだ(笑)もちろん、きもちよさを味わったが故にである。